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自分の感受性くらい

高校最後の現代社会の授業。
私が好きだったおじいちゃん先生は、力強く、声を震わせながら、ある詩を読んだ。

皆、真剣に耳を傾ける。
先生の声だけが教室に響き渡る。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ

これは、茨木のり子さんの詩だ。

私はこの時にはじめて知った。

ひどく強烈なインパクトを受けた。選び抜かれた言葉たちが、これでもかというほどに、心に刺さった。

先生は、最後の一節を黒板に書き殴った。

-自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ-


去年の春、桜を見ていたとき、6年前の授業で聞いたこの詩をふと思い出した。
もちろん全部は覚えてなかったから、すぐ気になって、覚えていたフレーズから探し出した。

「これだ!」


大人になってから読むこの詩は、更に力を増していた。

いつしか純粋さを失って、周りのせいにして、自分の誤ちを認めることから逃げたくなってしまうことが増えた気がする。

環境が変わっても、自分は自分なのに、「社会に揉まれたなぁ」なんてへらへらと言い訳する。

本当に、自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ、だ。

もっと強い意志を持って、周りに流されず、自ら道を切り拓くんだ。

今年の春も、またこの詩を思い出す。
きっと毎春、私はこの詩を思い出す。


先生、元気にしてるかなぁ。

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