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誇り高きニャン友 後編

前回のあらすじ

公園で出会ったナナシという野良猫。彼の視線の先には雨どいにはさまって動けない子ネコがいた。子ネコは無事助け出したが、ナナシはいつの間にか姿をけしていた。わたしは仕事が終わってから、ナナシを探すため公園へと向かった。

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以下その続き(=^・^=)

夜の公園のナナシと出会ったベンチに、古びた街灯の狭い光がスポットライトのように落ちている。その周囲を沿うように、野良猫たちがたむろしていた。わたしが光の中に足を踏み入れると、ある者は蜘蛛のコを散らすように逃げていき、あるものはエサをねだっているのか、わたしに近づいてきた。

猫にも性格というか、信念のようなものがあるのかもしれない。人間の施しなんて受けないというもの、人間を利用してでも生きようとするもの、公園に落ちた光と影の境界線は、まさにその境を示すように、分厚くそびえていた。

ナナシはいなかった。いつものベンチは、用が済んだといわんばかりにからっぽである。街灯の光がむなしく夜の闇にかき消えていく。

用とはつまり、あの子ネコを助けることだった。普段は人間など鼻にもかけない誇り高いナナシという猫が、自身の誇りをかなぐり捨て、人間に助けを乞うた。わたしはその気高さに、どこか心を打たれていた。

そう、わたしは聞きたかったのだ。どうすればあれほど、独りでも誇り高く生き抜くことが出来るのか、と。わたしなんて会社のいいなりで、会社にすがらないと満足に生きていけない、弱者でしかないのに。わたしもあんな風に生きられたら、もう少し世の中に希望を抱けるのかもしれないのに。そう思いながら、私は公園中を必死に探し続けた。

「あら」

そういって公園にやってきたのは昼間エサをあげていたおばさんである。どうやらわたしと同じように、ナナシを探しに来たようだ。

「昼にお願いした子ネコは…」

「大丈夫よ。病院でみてもらったから。あの子もみてもらおうと探してるんだけど、やっぱり無理かね」

「あの猫(ナナシ)ですか?どこかわるいんですか?」

「どこかっていうより、もう全部ね。だいぶ年寄りだから」

ナナシは何年も前から、この公園で野良猫として生きていたようだが、最近は老齢でだいぶ体が弱っていた。おばさんも最初は家で保護していたが、人間の世話にはならないといった風に、気付くと家を抜け出していなくなっていた。

そんなナナシが、最近子ネコをよく連れて歩くようになった。子ネコは気が弱い性格なのか、おばさんがあげるエサも他のノラ猫にじゃまされてうまくもらえなかったらしい。ナナシはそんな子ネコに、エサを分け与えていた。

…なぜずっと一匹で生きてきたナナシが、今になって子ネコを守ろうとしたのか。ひょっとしたら、老い先短いナナシが、最期に何かを遺したかったのかもしれない。親もなく一匹で懸命に生きる子ネコの姿を、かつての自分に重ねていたのかもしれない。真相は誰にもわからない。

しんと静まり返った夜の公園からは、野良猫らしい気配がかすかにある。わたしは街灯の元にあるベンチに腰掛けた。

最初にナナシと出会ったこの場所で、ナナシは今にも、その鋭い視線でわたしを覗き込んできそうな気がした。光の及ばない闇の先に、ナナシがいるような気がして、ふと顔をあげた。

暗闇の奥からやってきたのは、あの子ネコを抱いたおばさんだった。子ネコは少し元気になったようで、おばさんの腕の中で、ここちよさそうに寝息をたてていた。

「ちゃんとあいつにお礼を言ったか?」

わたしが子ネコの頭を撫でながらそういうと、返事のように、にゃあ、と一声鳴いた。

わたしは退職するまで何度も公園を訪れたが、ついにナナシと再会することはなかった。

ナナシとはたった二度ほど会っただけだが、彼の姿はずっとわたしの中に強く焼き付いており、わたしにとっては、ともにつらい世の中を生き抜いてきた、親友…いやニャン友のように、勝手に思うようになっていた。

この写メの姿が結局最後になってしまった。それさえ何年も前の話なので、おそらく、もう生きてはいないだろう。

彼は最期まで誇り高い生き方をつら抜いたのだろうか。すくなくてもわたしの中では今でも、ナナシはいつも凛とした挙止でベンチの淵に立ち、子ネコをその鋭い視線で見守っていた。

わたしは彼の強さに少しでもあやかりたくて、この画像を携帯の待ち受け画面にしたり、ツイッターやnoteのアイコンにしてみた。

もちろんそれでわたしが強くなるわけがないのだが、とっくに死んでしまったはずのナナシが、毎日アイコンでその姿を見ることで、どこかネットの世界だけでは今も生き続けているような、そんな不思議な気持ちになっていった。

彼の誇り高い意思だけは、すくなくてもわたしの中だけでは、ずっと生き続けているのではないか、と勝手に信じたかった。それでいて、いろいろな人にナナシの姿を見てもらえるなら、これほどうれしいことはなかった。

なぜナナシはそんな生き方を最後まで貫けたのか。わたしにはとうとうわからなかった。わたしはいまだにナナシのように力強くは生きられず、何かをしようとしては失敗し、苦しみ、べそをかきながら、世の中に悪態をつくだけだ…。

わたしはつらくなったとき、ナナシのことをふっと思い出す。

きっとたった一匹で辛く、その生き方を誰にも知られなくても、己の信念を力強く貫いたであろう、誇り高きニャン友のことを


#エッセイ #コラム #小説 #公園 #サラリーマン #猫 #野良猫









わたしが公園のベンチで弁当をたべていると、おっちゃんが野良猫に餌やり。

猫が数匹、我先にとかけよるが、一匹だけベンチに、わたしの横に座っている猫が。

なぜこいつはいかないのか。目つきは鋭く、体はところどころ傷だらけ。弱っている感じ。

ときおり上をみている。何を気にしているのか。

小さな猫が家の雨どいにはさまっている。

わたしが家のひとにいってはしごをかりて救出。小さい猫はふらふらになりながら、蝋猫によりそう。

ひょっとして助けようとしていた、人間を使って?機をうかがっていた?

…猫というのはかわいいイメージが強いが、それは人間の勝手なイメージのおしつけかもしれない。人間の理想の仮面をかぶせているだけでも。

こういう誇り高さこそが猫の真の姿ではないのか。

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