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祖母との思い出

いち瑠で和装を習うようになるまで、
私はいつも頭からかぶるようにして着るワンピースばかり着ていた。

折り目正しいことが苦手で、
どこにも遊びやゆらぎのないことを窮屈だとさえ感じていた。

和装についても、こういった理由で避けることが多かったが、
いち瑠で和装をはじめてから
折り目正しさや窮屈さへの考え方が変わった。

それは、窮屈さが自分の身体への意識を鋭敏にしているということだ。
自分の腹に紐をそわせて腰ひもを巻く。
帯を巻き、脇腹あたりで帯をきつく締める時、骨が軋むのを感じる。
それはまるで自分の輪郭をなぞるようだと思う。
「内臓が今日も動いているなぁ」とか、
「帯でお腹が苦しいのは生きている証だ」とか考えながら、
毎回いち瑠で着物を着ている。

ところで、私が和装を習い始めたのは私の祖母の来歴と関係がある。
祖母は岐阜の山奥の村で生まれ育ったが、
戦後は祖母の母が○○○者と再婚したため、
義父に朝から夜までこき使われ一時期は家出を企てるほどであった。

逃げるように村を出て、誰にも知らせず祖父と結婚した祖母。
結婚後はじめて(ちなみに、戦争が終わってからはじめてでもある)
夏祭りに出かけたときは涙が流れてとまらなかったらしい。

その時の着物は私が保管している。
そんな祖母だが、
村を出たからといって暮らしがよくなるわけではなく
針子として働く日々が始まった。

苦労して私の父を大学まで出して、
少女時代よりずっと幸せになった祖母は
今では針子時代に縫った着物を自慢気に見せてくるようになった。
もちろん、私が所有している着物の大半は祖母が縫ってくれたもので、
せっかくならきれいに着たいと思い、いち瑠に通い出した。

冒頭で「自分の輪郭をなぞるようだ」と書いたが、
着物を着る時、自分のルーツと家族の来歴、
そしてそれらがいかに私を形成してきたのか、思いを馳せてしまう。

祖母の苦労や祖父の愛を考えると、自然と襟元を正したくなる。
着物を着ることが我が家の歴史を背負うこと。
ひいては自分の運命を引き受けることだと感じたからだ。