きもの着方教室 いち瑠

「きものを着ておでかけを楽しむ」ためのコミュニティーとして全国に約60教室を展開する「…

きもの着方教室 いち瑠

「きものを着ておでかけを楽しむ」ためのコミュニティーとして全国に約60教室を展開する「きもの着方教室いち瑠」です。生徒さん方の「きものにまつわる素敵なエピソード」をメインに紹介していきます。堅苦しく考えず、自由なマインドできものに興味を持っていただけると嬉しいです。

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私と祖母と着物と

両親の離婚により、中学2年生から大学を卒業するまで、祖母の家に、祖母、母、妹、私の4人で暮らしていた。 その期間、私は祖母のことを、日本語が喋れる宇宙人だと思っていた。 聞いたことのある話を何度も繰り返し話してくるし、一緒に暮らす上で守ってほしいルールを伝えてもおかまいなしだし、カチンとくるような一言を連発するしで、とにかくストレスが大きかった。 どれも祖母には悪気がなく、余計にタチが悪かった。 私は祖母を世間の常識が通じない、宇宙人だと思うことにし、極力距離を置き、

    • きものが気付かせてくれたもの

      「きものに興味があるのなら、私が行っている所に行きませんか。」 若い職場の同僚が 着付けのレッスンにいかないかと誘ってくれました。 彼女は若いのにもかかわらず、 忘年会や歓送迎会には必ず着物で参加していて、 しかもとても上手に着こなしていました。 今まで着物を着たいという願望はありましたが、 敷居が高くてなかなか一歩がふみ出せなかったのですが、 これは絶好のチャンスだと思い着付けを始めました。 私は習字を習っていて、 展覧会の受付や反省会の時、 多くの先輩の方々が着物を着て

      • 着付けを習いはじめて

        昨年はじめ、 友人とのちょっとした会話から着付けを習いはじめた私。 それまでは全く興味がなく、 手持ちの着物はタンスの肥やしになっておりました。 習いはじめて間もなく、 私のタンス、亡母のタンス、義母のタンスから 様々な着物たちが姿を表しました。 私のタンスからは、 結婚時に親が持たせてくれたもの、 小学生の頃少しだけ習っていた日舞で着たもの、 そして何となく見覚えのある母が使っていた帯や小物たち。 残念ながら亡母のタンスの中は保存状態が悪く、 早く救出してあげていたら

        • 着物で同窓会

          高校の時の同窓会が、毎年のようにあります。 若い時は、みんなジーンズにTシャツのような、 カジュアルなものを着て参加していましたが、 ある程度の年齢になってくると、 女性は特におしゃれをしてくるようになってきました。 ブランド物で着飾っている人もいるし、 高価なものでなくても、 精一杯おしゃれしてきたんだなあと思える人もいます。 ある人は、毎回奇抜な格好でみんなの注目を浴びています。 そんな中、 自分はというと、まったくおしゃれではなく、 ブランドの服も持っていないし、セ

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          きものがつないでくれたもの

          着物教室に通うきっかけは、祖母の着物でした。 祖母が昔着ていた着物や曾祖母の着物・帯の処分に困っていると聞き、 母に誘われて通い始めました。 もともと着物や日本の文化に興味を持っていた私は 母の誘いに二つ返事で応じました。 初めは着物の名称、種類、道具、作法、何一つわからず、 “教室”に緊張し不安に感じておりましたが、 初めて自分で着られた日の嬉しい気持ちは今でも覚えています。 思い出に残しておこうと撮っておいた写真を見返すと、 とても見られたものではなく少し恥ずかしいです

          きものがつないでくれたもの

          着付けを学ぶきっかけから今

          日常に着物が当たり前だった祖母のおかげで、 私はたくさん着物をゆずり受けています。 古典な柄、今でもモダンな柄。 着物はステキだと思いつつ、着る機会もないし、 一人で着られないしと、桐ダンスから目を逸らしていました。 ある日、外国人の友からメールがきました。 結婚するんだけど、着物で披露宴に参加してくれないかと。 「無理だ。一人で着られない。海外に着せてくれる人なんていない。」 と焦りました。 が、海外滞在中に世話になった友人からの懇願。 日本人の友が自分の結婚式に着物を

          着付けを学ぶきっかけから今

          着物にまつわるエピソード

          幼い頃から、和小物が好きでした。 中学、高校と「宇野千代」さんの長財布を大切に使っていました。 成人式の際、「レンタルすればいい」という母親と 大ケンカして祖母に泣きつき、 一式何百万もする着物を買ってもらいました。 今考えると最低です。 保管や着る場所のことを考えると、レンタルでも十分だと思います。 数年前、 実家に帰って、母親が 「若い頃に着物を作ったが、一回も着ていない」という話を聞き、 「それ、着てみたい」と言うと、 「着せられないから、習いに行きなさい」と言われ

          着物にまつわるエピソード

          はじめての着物とお出かけ

          私は仕事で関わった海外の方々がきっかけで お着物に興味を持つことになりました。 日本に来る海外の方は日本のことが大好きで 歴史や伝統にとても詳しく、 日本人である私が教えてもらうことも非常に多かったのです。 また、自身の国の文化についても詳しく、 文化を教えてくれたり民族衣装を着て見せてくれたりしました。 そこで、日本のことを何も説明できないことを恥ずかしいと感じ、 日本の伝統に関する何かを身に付けたいと思い、 着付教室に通うことにしました。 着物を購入する機会があり、

          はじめての着物とお出かけ

          私と着物

          いったいいつのことだったか、 もうはっきりとは覚えていませんが、 とても小さい頃から私は着物に対する強い憧れがありました。 町で着物の方を見かければ飽きずにずっと見ていましたし、 成人式やお正月のテレビで振袖をみれば 「私もいつかはこれを着るんだ!何色がいいだろう」と ずっと考えているような子どもでした。 歴史の授業でも古典の授業でも暇さえあれば 十二単のページばかり見ていました。 今思えばとっても変わった子だったと思います。 それだけ着物はずっと私を魅了してくれる存在で

          日本文化における着物の知識を学び感じた事

          娘の成人式をきっかけに着物に接する機会があり、 これまで意識していなかった着物という日本文化についても 視野を広められるようになりました。 現代は、グローバル化で 多くの国々の方が日本の文化に興味を持っていると思われます。 着物姿の外国人も見られる中、 やはり日本人として自分自身も着付けができるようになりたい との思いがありました。 実際に教室に通うことで、 着付けができた際の達成感は 普段の生活では味わうことのない新鮮な感覚が得られました。 また着物に関する基本的な

          日本文化における着物の知識を学び感じた事

          着物のある生活

          私にとって着物は、祖母の日常着というイメージでした。 祖母は明治生まれの人ですので 着物は特別なものではなく、 身近なものだったに違いありません。 祖母にとって着物は、 産着であり、遊び着であり、花嫁衣裳であり、日常着でした。 毎朝、浴着から紬のような着物に着替えるのですが、 その手際の良さに子供ながら感心したことを今でも覚えています。 それから時が過ぎ、 身近に着物を着る人もなく、 いつしか着物は縁遠く、 特別なものとして感じるようになっていました。 そうして過ご

          着物好きの母へ

          私の着物好きは母譲りだ。 私が子供の頃、 母は冬になるとほとんど毎日着物を着て真白な割烹着をつけていた。 日常着として常に着物を着るのは祖母の時代で終わっていたのだけれど、 母は私の小・中学生時代の参観日には 普段とは違うよそ行きの着物を着てくるのが常だった。 40年以上も前、まだ学校行事の日が、 母親がお洒落していくハレの日だったころのことだ。 しかしそんな昔でも、学校に着物を着てくる人はめずらしかったし、 友達のお母さんが割烹着を着ているのを見た記憶もない。 だから、

          アゲハが魅せた「きもの」の力

          「きもの」への印象が変わり、 「きもの」のまだ見ぬ魅力に気づき、 「きもの」への価値観が芽生えたのは、 紛れもなくアゲハと出会ったあの日でした。 私の時代の成人式には、 祖母や母から受け継いだ振袖を身にまとう友人こそ一定数いたものの、 「ママ振り」というワードはまだ聞かれていませんでした。 私の祖母の手元にも振袖がありましたが、 私はそれを着て成人式に出るつもりはありませんでした。 祖母との確執ゆえ、その着物に愛着がわかなかったのです。 それに輪をかけるようにして、 海外

          アゲハが魅せた「きもの」の力

          私と着物

          いつから着物が好きで着たいと思うようになったのかは覚えていません。 ただ、祖父がよく時代劇を見ていたので、 その影響かもしれません。 私もあんな風に着物を着て下駄をはいて 出掛けたいと思うようになりました。 今では着物を着る人の率が高くなっている気がします。 私も早くそんな風に一人前に着たい!と思い始めました。 度々、着付けしてくれる教室を見つけては、 着物を着付けしていただいたり、浴衣を着付けしていただきました。 やっと今、何とか自分で着付けできるようになり、 先日、

          着付け教室に通うようになったきっかけ

          ちょうど一年前、姪の結婚式がありました。 その時、母ともう一人の姪が着物で出席しました。 二人のほかには着物の人はいませんでしたが、 二人がいた事で、場も華やかになりとてもよい式になりました。 また、その姿を見て 私も幼い頃は着物を着ていたことを思い出しました。 夏の花火大会にはゆかた、 お正月にはアンサンブルを着ていました。 ちょっとおしゃれをした感じがあり、 とても嬉しかったのを覚えています。 大人になってからは、 ゆかたは持っていましたが周りにゆかたを着る人が

          着付け教室に通うようになったきっかけ

          着物は楽しい

          還暦を過ぎたら、“家でも着物の生活をしたい”。 50代に入った頃、そう考えたことがありました。 年配の女性の着るもの問題は深刻です。 何で日本の高齢女性にお洒落な人が少ないんだろう。 若い時はサマになったTシャツとジーンズ姿、今は何かが違う。 似合わない。 体系の変化は認めるにしても、 シンプルでエレガントな大人の服っていったいどこにあるのよ——っ? お手本になる人誰かいる——っ? そんな問題を抱きつつ迎えた60才。 しかしそこに具体策はなく、 意識が強く着物に向いたわけ