青春ごっこをやめたい

 中高時代の友人グループが重たい。大人数でライングループを作っていてそこに参加しているのだが、もうこの歳(今年29歳)にもなっていつまで青春ごっこしてるんだろう・・というのがすごく違和感。そのライングループで会話になると、通知が100件200件を超えてくるのもイライラする。学生のノリに自分が戻ってしまって、あの頃の無理してた自分が帰ってくるのもすごく嫌。そのグループ内で、陽気に空気を読みながら振る舞う自分が嫌い。嘘つきで嫌い。だったら、そんなに嫌ならやめちゃえーって、もし私が他人なら言えたかもしれない。高校時代に異様に執着している自分がいる。今でもよく夢に登場するのは、そのグループの子達だ。そして大体、悪夢である。「高校!青春!思い出★」みたいなものは、私の中ではとっくに闇に葬り去っている。明るく努めていた頃は、心が死んでいた。感情が死んでいた。今は中高時代の友人と物理的距離が出来たおかげで何とか自分を取り戻しつつある。それなのに、また、青春ごっこに戻ろうとする自分の学習能力の無さにほとほと呆れる。

 女子グループの中で明らかにパワーバランスがある。大体女子が3人以上集まるとカースト、誰が優位で誰が下位かみたいなものが露骨に表れる。容姿、収入、既婚者、彼氏がいるetc...色んな要素がカーストに採用される。私の場合、8人の中で私は割と上位にいるという思い込みがあるからこそ、抜け出せないのだと思う。アホらしい。グループ内でパワーバランス「ツッコミ役(上位)」と「ボケ役(下位)」が決まっていて、私はどちらかというとピエロ的な「ボケ役」を買って出ている。そう考えると、思っているカースト位置が実際のカースト位置とズレていて、それが苦しい原因でもある。「ツッコミ役」が圧倒的に会話の中の主導権を握っていて、私はその中で「ボケ」ることで何とか椅子にしがみ付いて座っている。座り心地は最悪だ。健全な人間関係(対等であれるかどうか)として考えても、このグループは腐っているようにしか見えない。だからこそ、一刻も早く抜け出したい。「一生友達(の振り)ごっこ」みたいなことは出来ない、しんどい、つらい。LINEから一度抜けたことがある。でも結局戻ってしまった。意思が揺らぎまくっている。バカなのか。同じことを繰り返していて、学習していない。なぜ、さっさと足を洗えないんだろう。早く解散しないかな、と心の中で願っているし、来年に延期された「友人」の結婚式にも参加したくない。最悪なことにその結婚式は「大同窓会」で、考えるだけでもぞっとする。おととしに似たようなことがあり、参列したものの、最初集まった同窓生に挨拶しても「あぁ」みたいな顔をされて、寒気がした。そうか、私の扱いってこんなもんなんだったのか、と今思う。高校時代の「友人」は数人繋がっていたいと思える人がいるが、少なくとも「大同窓会」には全く価値を見出せない。

 重い友人グループから抜けるのは私の自由だ。戻りたくもない。たかだか、出席番号が近かっただけの集まり、という間柄。人間的に好きかどうかは別の話。この話はもう何十回も繰り返していて、うんざりしているが、そこに何か重要な理由があるような気がしてならない。どうして、繰り返すのか。LINEだけの繋がりにどういう意味があるのか、無いのか。わからない。わからないから繰り返す。きっと一番重要なことから目を背けている。一番大切なのは「自分」だ。自分を偽り続けた過去になぜこんなにも執着しているのか、そろそろ滑稽になってきた。可笑しい。悲しい。ピエロを演じ続けることにはほとほと疲れたはずなのに、また戻ろうとする。きっと楽だから。何も考えなくていいから。楽な方に逃げる癖がある。趣味も正直全く合わないし、本当に何のメリットがあって繋がっているのか価値が見いだせない。それなのに、何度も戻ろうとする。「嫌われたくない」そういう下心があるからで、それは裏を返せば「皆から好かれたい」である。どうしてもこれが捨てきれない。そんな不可能なことにどうしていつまでもしがみ付くのか。高校時代「皆から好かれている」自負があったんだと思う。思い込みかもしれないが、そうなるように努力していた自覚はある。しんどかった。それが間違いだと気づいたのは、体調を崩した20代後半からだった。10代の自分が好きになれない。悲しくなる。ピエロを演じて心を閉ざしてしまった自分が「かわいそう」。そういうストーリーの悲劇のヒロインをまた演じている。演じ続けることに疲れた。悲劇のヒロインなんかじゃないし、10代色んなこと頑張った。勉強だって、バレエだって、いつも全力だった。それでいいじゃないか、とも思う。人間関係、コミュニケーションがうまく無いのは10代皆同じ。皆わからないなりに、必死で生きていたはず。その中の一人に過ぎない。自分だけが辛いんじゃない。

 今このnoteを書きながら気づいてしまったことは、自分がいかに自分しか見ていなかったか。私だけが辛い、私だけが演じている、そう信じ込んで「しんどい」なんて言っていたけど、実際誰もが演じながら嘘をつきながら生きているはずで、だから人生相談は無くならないし、拠り所を皆探し彷徨っているのは同じのような気がしてきた。書きながら、気づくことはよくあることで、人と喋りながら気づくという事もよくある。気づきは自分独りの力では出来ないことで、誰かの力を借りてしか出来ない。このnoteという場所は私にとって、自分だけがそうなのか、という独りよがりな考えを一旦、外に置いて眺めることのできる最適な場所だ。眺めることで全く違う考えが浮かんできたり、何だそんなことか、と笑ってしまったり。自分の中だけにしまっておくとどんどん大きくなってしまう「悩み」みたいなものは、実は自分が勝手に作り出したものであって、そこには無いのだということがわかるのは、第3者の視点をこういう場でもらえるからだ。

だいぶ話はそれてしまったが、まずはグループLINEからフェードアウトすることから始めたいと思う。ゆきつ戻りつしながら、昔の自分も許せるように愛せるようになりたい、と思う。

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?