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私の最後に辿り着く場所は決まっている。実習で出会った忘れられない出来事。

保育科2年生の時、幼稚園の実習でいくつかの園で学ばせて頂いた。幼稚園実習で行った最後の園で、大袈裟ではなく、私のその後の保育・今の子育て・人生観のようなものの柱になるような出来事に出会った。


『実習は大変!忙しく寝不足になって体力勝負』

と聞いてはいたが、実際その通り!右も左も分からないまま、現場に入らせてもらう。目の前の子ども達は、次から次へとほぼ教科書に載っていない動きと言葉と表現を見せてくれる。そこに新しい発見の連続があった。それと同時に、うまく立ち回れない自分の力不足を感じる。

それでも、子ども達は『〇〇せんせい、あそぼう〜!』と言う。


『せんせい』


『先生』


私自身がまだ社会の中では何らかの学校の『生徒』としてしか生きていない中、『先生』と呼ばれるという、身の丈に合っていない感じを纏いながら現場にいた。


その園での実習が終わりに近づいたある日。降園後に掃除をしていると、担任の先生から『私が戻るまで■君と〇君と一緒にお母さんのお迎え待ってて〜!』と言われた。降園後の延長保育で、保護者の方のお迎えを遊びながら待つ時間だった。

『分かりました!』と2人がいる部屋に入ると、2人で木の大きな積み木(人が乗れる位)をちょうど片付けている所だった。

『お片付けしてるの?』

『うん!もうすぐママ来る!』

そう言って重たい大きな積み木を、壁際によいしょよいしょと運ぶ。私も一緒に運ぶ。片付けてはいたがちょうど階段のような形に積み上げられていた。それを見て■君が、

『ぼく、てっぺんまでのぼれるよ!』

と、トントンと簡単に上る。

『本当だ!すごいねー!』 

すると、〇君が

『ぼくもできるよ!』

とのぼり始めるが、3段目位からドキドキしているのか、足が少しふらつきながらもゆっくりとてっぺんまで上った。

『おぉ〜!高い〜!先生と背の高さ同じくらいになっちゃった!』

と言ったら、少し照れたように笑った。

ちょうどそこに■君のお母さんがお迎えに来られ、担任の先生と玄関へ行き帰っていった。

部屋には〇君と私の2人になった。その時、〇君が言った。

『せんせいものぼれる?』


‥私は高い所が苦手だ。私の高所恐怖症は『本気の怖い』だ。

小学校5年生の時に歩道橋の階段で足を踏み外し、勢いよくいわゆる『階段落ち』をしてしまった。1人だった私は起き上がれず横たわっていたが、周りに人気もなく、しばらくして起き上がり、頭を打ったのかフラフラしながら家に向かったのを覚えている。

それ以来高い所、特に階段とセットになっている高い所(エスカレーターは地獄です)は怖い。

そんな私に、純粋に『せんせいものぼれる?』と聞く〇君。

『曲がりなりにも今は先生。子どもの手前、出来ないとは言えない!』

と、上る決意を固めた。

1段目。まぁ、まだ大丈夫。

2段目。地上から離れた感じがグッと来た。

3段目。‥こ、こわい!どうしよう。本当は無理だ。降りたい。でも〇君が見ている。片足を乗せる。でも、踏み込めない!汗が出てきた。もう無理だ‥。



『〇君、ごめんね。先生、本当は高い所がすごくこわいんだ。』


言ってしまった。正直に言ってしまった。


保育科の授業中に『牛乳が嫌いな人は、実習中おやつに出る牛乳だけは、たとえ嫌いでも子ども達の前では絶対に飲み切りなさい!』と念押しされ、なんとかここまで息を止めて飲んでこれたのに!(笑)


先生なのに、出来ないって言うなんて、情けない大人ってがっかりされたかもしれない‥。


ところが、〇君が言った言葉は意外なものだった。



『じゃあ、ぼくがおててつないであげる。』



びっくりした。

『先生、できないの!?』

どころか、

ついさっき、3段目あたりから足をふらつかせながら頑張ってやっと上った〇くんが、次は手をつないで一緒に上ってくれると言うのだ。

勇気。

優しい。

そして何より

〇くんに私を丸ごと受け止めてもらってしまった。



『いいの?ありがとう!』

そして、〇くんが一段先に私の手を取りながら、ゆっくりのぼる。ゆっくり、ゆっくり。

そして2人でてっぺんに立った。

『先生、できたね!』

『うん!ありがとう!』

教科書みたいに気の利いた答え方も出来なかったが、本当にありがとうと思った。

それからゆっくりゆっくり2人で降りた時、〇君のお母さんがお迎えに来られた。

嬉しそうに急いでカバンを担ぐ〇君。

『〇くん、また明日ね!』と言うと、〇君は言った。


『うん!あしたまたのぼりたかったら、いっしょにのぼってあげるね!』



完全に心が動かされた。

子どもは純粋とよく言うけれど


ここまで純粋なんだ。


こんなにもなんだ。


ほぼ初めて会話したような大人を

一瞬で『そのままでいいよ』と言ってしまえる。


目の前にいる相手の『今』をまっすぐ見て、思った事を表現できてしまう。


子どもの果てしなく広い器の大きさも感じた。


そして思ったこと。


こんなにまでまっすぐな子達と向き合うには、

私もすべてをさらけ出さないと、

心をお互いに通わせる事は不可能だ。

だから


『等身大の自分でいこう。』




次の日。お弁当の後の自由遊びの時間。〇君を見つけた。

『〇くん、またてっぺん行ってみたいんだけど手伝ってくれる?』

『うん!いいよ!』

私は積み木のてっぺんに2回ものぼれた。〇君もニコニコしていた。



その後、私はその園に『1年目の先生』として戻ってきた。〇君は年長組になっていた。私は年中組の担任。受け持つ事はなかったけれど、他の子と同じように一緒にたくさん遊んだ。卒園する姿を見れて良かった。〇君のお母さんは優しい方で、『先生が実習の時にくれたみんなへのプレゼント、ずっと大事にしてます。』と教えてくれた。


それからの私は、子ども達と『ありのまま』で向き合う事を大事にした。

迷う事はたくさんあった。迷って迷って、それでも最後にたどり着くのはいつもここだ。

子ども達にとったら素敵な憧れの先生にはなれなかったと思う。高い所、虫、料理が苦手。苦手な事も好きな事もそのまま話した。子ども達はお家で『先生、料理苦手なんだってー!』と純粋に話すと(笑)保護者の方が『先生、一人暮らしで栄養とってる?』と心配してくださったり。親子遠足で虫にたくさん遭遇すると、『先生、大丈夫ー!?』と親子で守りに来てくれたり(笑)。


私は本当に子ども達と保護者の方に育ててもらった。



時が経って自分が母になった。

保育とはまた違う。母だからこその感情や悩みに出会う。今ももちろん現在進行形。


悩んで。迷って。落ち込んで。 

自分で信じてやってきた事も、間違っていたんじゃないかと一気に不安になる事もある。



そんな時は、あの時〇君が差し伸べてくれた小さな手が道しるべ。

私の最後に辿り着く場所は

決まっている。






実習を経験した後、保育科の先生からの一言に背中を押され保育の世界へ入る勇気をもらいました。その時のお話も良かったら覗いてみてください(*^▽^*) 














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