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会社員を辞めて独立した私のストーリー

短大卒業後、1996年に入社した会社は携帯電話やポケットベルなどを販売する大手企業だった。20代から30代半ばまで、朝から晩まで働いた。残業の多い仕事だったので、帰宅するのはいつも22時すぎ。日がまわることもしばしば。仕事から帰ると、寝るだけ。
休みの日は、体力を回復するため、半日は寝ていた。
お金は貯まるが、プライベート時間がほとんどなかった。
30歳までに1000万円を貯める目標は気がついたら達成していた。
結婚したら専業主婦になるのが夢だったか、なかなか婚期は来てくれなかった。
36歳を過ぎて、ようやく縁談がきて、念願の寿退社。
それからは出産、子育て、親の介護。睡眠時間は削られて自分の時間は会社員だった頃よりなくなっていった。
不平不満の爆発。
そして、病に倒れた。
運気でいうと「絶」の年。
最初に病気がわかった時は、こんなに自己犠牲して真面目に家族のためにがんばった結果がこれなのか、と絶望した。
回復するのに1年間、完全休業。家族と離れて暮らし、時間が経つにつれて、病気のおかげでやっと、自分の時間を手に入れることができたということに気づいた。
心底自分と向き合うことができたのだ。
命にかかわる病気になって、自分を大切に扱わなければ、命が削られることを知った。
当たり前にできたことが病気によってできなくなると、健康なカラダを授かっただけで非常にありがたいものなのだと解る。
次第に不平不満を口にするよりも感謝することが増えた。
口内炎がなくて、ご飯がおいしく食べられる。
痔の痛みがなく、ふつうに座れる。
鼻が詰まってないから、自然に呼吸ができる…など。
健康な人が当たり前にしていることは、病人からみると非常にありがたいこと。感謝しかない。
それに気づいて、毎日「ありがとう」という言葉を自分に浴びせて自分を大切に扱うようにすると、カラダもそれに応えるようにどんどん回復していった。
病気をして7年が経ち、回復した私はついに起業した。
携帯電話会社で培った能力を活かして、ネットやメールを活用した占いを提供することにした。
占いの勉強をして、運気のバイオリズムに乗って行動することが開運のコツというのも知り、父のやっていた占い業を継ぐことにした。
今年の私は「承継の座」に入り、さらに「胎」の年。
相続や家業を継いで起業するのにはもってこいの年だ。
2年前に父が亡くなり、私が占いを再開したとネットやSNSで告知すると、待ってました!というお客様が予約の連絡をくれた。
占い師は全国に約1万人いるらしいが、ママ友に占い師はいないし、拠点としている神栖市には3箇所くらいしかない。
私が住んでいる街には、占い師はいない。
自分の運勢が分かれば、悪いことは用心して避けられるし、自分の道を進みやすくなると思う。
信じるか信じないかは本人次第だが、何千年も前から使われている占術は、やっぱり当たる確率が高い。
だから、現代にもその占術が使われているのだと思う。
例えば、わからない問題があったとき、答えを見てから解くほうがダンゼン効率がいいと思う。与えられた時間は無限ではないからだ。
そのために、占いを活用する人がたくさんいる。
運気の流れに乗った結果、私は占い師になり、独立した。
まさか、父の後を継ぐ運びとなるとは、自分でも驚いている。





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