生誕コンプレックス

 生まれたことに対して敗北感と劣等感がある。

 俺は母親と父親の願いから生まれた。俺の願いはそこになく、俺の人生は強制的に始まった。支配された状態で俺は生まれた。
 そして、そこに、今この記事を書いている俺の思考や経験は無意味だった。両親は子供が欲しいだけで、その子供の個性や意志には頓着していなかったから、俺じゃなくてもよかった。両親は俺の賢さや優しさを褒めてくれるが、べつになくたっていいし、俺が面白いやつなら今度はそれを褒めただけだろう。ただ子供が欲しかっただけで、子供という属性以外はおまけにすぎない。しかし子供という属性以外が俺の大部分なわけで、子供としての俺だけを求めるということは、俺の大部分を否定することになる。
 誰よりも俺のことを理解している親が俺の大部分を否定している。俺は両親が放り出した子供という属性=栄養のカス、排泄物にすぎない。見下している両親の排泄物でしかなく、もし、おまけの部分を愛していたとしてもだ。たとえば賢くて優しいのが本当だとして、そこを本当に愛しているというなら、それは強欲すぎる。もし俺が賢くも優しくもなかったら、俺の性根を思うように捻じ曲げるつもりだったのだろうか。

 そのように劣等感を拗らせても、俺が両親を超える日は来ない。俺は、学校に行って、職場に行って、人間関係を作って、恋愛して、結婚して、子供を産んで、育てる、そんなことはできない。冷静に客観視すれば俺はずっと落ちこぼれなわけで、俺から見ればクソみたいな両親の、世間から見れば出来損ないの息子なわけだ。
 なぜ敗北感すらも拗らせるのかはわかっている。俺がいつまでも親に執着するということは、俺がいつまでも子供だということ。そしてなぜ子供なのかというと、無力だから。無力な大人は子供と同じで、有力な子供は大人だ。社会性があると大人っぽいというが、本当のところ、社会性がなくても大人はできる。大人であるということは有力であるということ、だからいつまでも成長できない俺は子供だし、社会は変わらない。有力でなければ社会は変えられないが、有力であれば子供ではない。大人しか社会を変えられないから、子供は常に差別される。

 親を見下す気持ちと、親を越せない予想が、俺の劣等感と敗北感をぐちゃぐちゃにしている。
 ただそれでも…………本当に親はひどかったと思うし、ああなるくらいならいつまでも子供でいいと思うんだよ。
 大人になりたいのか?そう思うとなんか違う気がする。俺はずっと大人が嫌いだったし、今は嫌いじゃないけど避けたがってる。いい人だなあと思っても、既婚者で子供がいると知ると、残念な気持ちになる。いい人なのに心底わかりあうことは一生ないと悟ってしまうからだ。
 でも子供でいることに甘んじたいとも思わない。社会をよりよくしたいし、無力でいることに耐えられるかというと、やっぱ耐えられない気もする。心が折れるという表現はあるが、そういう芯みたいなものは本当のところ一本じゃなくて、何本もあると思う。俺のはけっこう折れたけどぜんぶが折れたなんて思ってないし、心を折られている子を見たらやるせない気持ちになると思う。
 
 自分がどうしたいのかわからない。自分を子供だと言ったが、やっぱり子供ではない気がする。昔はこんなにも考えられなかった。ただ、いまが大人だとは絶対に思わない。
 べつにどうしたいとかないのかもな。ないものは探しても見つからないし。でも自分を苦しめる人とは一緒にいたくない。でも自分がいなければ苦しんでしまうだろう。
 じゃあやっぱりいつまでも支配されている子供か?いや、俺はあえて支配されに行ってる。ほな子供ちゃうか。でもオカンが言うにはな、もう将来の見通しとかろくに立てられないらしいねん。ほな子供やないか!

 いや、そもそも、俺を打ち負かし支配した両親はもうどこにもいないのではないか。父親は精神の安定に欠け、母親は正気を失いつつある。2人とも精神的に後退している。
 おばあちゃんの肉体も衰えつつあるし、頭もとっくにボケ始めている。この家庭に、もう大人なんていないんじゃないか。
 ただ俺の肉体は成長している。精神は塞ぎ込んでいるが、それでも、大人になるフリをおばあちゃんの前ではしなければならない。おばあちゃんを助けられるのはもう俺しかいないのだから。今は80歳だから、平均寿命を考えればいくら健康なおばあちゃんとはいえあと10年で死ぬだろう。あと10年、俺はまともなフリを、成長しているフリをしなければならない。
 都合のいいときだけ大人になって、都合の悪いときだけ子供になる両親に、なぜこんなにも気を遣わなければならないのか。俺はずっと一人っ子でよかったと思っているが、やっぱり兄弟はいた方がよかったかもしれない。俺にすべての負担がかかってくる。いや、兄弟がいたら兄弟の負担もかかってくるだけか。

 どうすれば両親を超えられるのだろう。60で退職しないで65(定年)まで働けられればそれが勝ちなのか?いや、どんな成功も結果論でしかない。子供を作ってまともに育てれば成功なのか?いや、子供を作るなんて絶対にしないし、俺の個人的な野望のために養子を取るなんてことも絶対にしない。
 俺は、社会的に見たらってことで自分が負けてると思っているけれども、じゃあ社会性を捨てればいいかというとそんなことはない。それは将棋盤をひっくり返すことであって、なんにもならない。むしろ、試合を放棄したという意味で負けだ。
 かといってクソみたいなゲームだと思いながら続行もしたくない。いや…………そこなのだろうか。クソみたいなゲームだと思っていながら戦い抜ければ、俺は(相対的に=評価はすべて相対的だから真に)両親を乗り越えたと言えるのだろうか。
 楽しまなければこんな作業を一生続けることは不可能だろう。見つけたい。理不尽を理不尽だと理解しながら死ぬまで楽しむ方法を。

 あと罪悪感があるからなんとかしたい。こんな子供として生まれて、こんな子供として生きてることでめちゃくちゃ迷惑かけてるし、普通の親をさせてあげられなかった。普通の子供じゃないから。俺に問題があるから、俺らしく生きるとそれだけで迷惑をかけてしまい、もうこれ以上罪を重ねないためには死ぬしかないんだけども、死ぬのも罪なんだよな。母親は生まれてきてくれてよかったって言うけど、もう信用もしてないし、父親は論外。でもこれに関しては諦めるしかないな。謝り続けよう。

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