未来は確定している!? 分かりやすく決定論
ある陶器を作るために粘土と水が必要だとする。
粘土の成分は無学ゆえに知らないが、水は水素と酸素だ。水素と酸素もなにかからできているはずだ。
1.あらゆるものはなにかとなにかからできている。
大きな粘土は粘土という一つのものではなく、小さな粘土と小さな粘土の合体とも捉えられる。小さな粘土もより小さい粘土同士の合体だ。もしこれを続けてどこかで分けられた粘土が消滅した場合、より大きな粘土が……分けられる前の粘土も作れないから消滅し、またより大きな粘土も消滅していく。
2.あらゆるものは無限に辿れる。
もし、この2つを無視するのなら、虚無から急になにかが出現することになる。そしてあらゆる知識と経験が無意味になる。
星の動きと星の位置の知識を天文学として統合しているつもりかもしれないが、実際のところ、その知識は急に私の脳に現れて、そのタイミングでたまたま望遠鏡を覗いていただけで、望遠鏡を覗くこと- 星の知識を得ること- 天文学を作ること、にはどんな繋がりもないかもしれない。
たとえばあなたが20歳だとして、明日が存在すると思えるのは、20年間を生きてきて絶対に毎日明日があったと思っているからだろう(それは夢かもしれないが、ともかく)。
演繹法は大きな前提を必要とするが、前提自体が前提を必要とし続けるので(神が存在するという前提に神とは何か、という問いがなされるように)、結局は帰納法が根本的にある。感覚なしに情報はないから、情報なしに思考はないから、まず備え付けの感覚で人間を始めている。
小さな粘土は要素や原因である。
大きな粘土はその統合である。
「縞々の模様がある」「足が4本ある」「アフリカに生息する」といったのは要素で、統合の結果がシマウマである。
「ドライバーが寝不足だった」「車にガタが来ていた」「道路が凍っていた」といったのは原因で、統合の結果が事故である。
逆に、シマウマを解体すればなぜシマウマがシマウマであるか……「縞々の模様がある」「足が四本ある」「アフリカに生息する」みたいな要素を見つけられるし、原因がない事故はない。
数学的に言えば1+1=2であり、2÷2=1((1+1)×1=2)である。
小さな粘土は過去であり大きな粘土は現在である。「ドライバーが寝不足だった」「車にガタが来ていた」「道路が凍っていた」はすべて過去形なのだ。そして事故が「起きる」。
過去が現在を招く。
10年後の自分からすれば10年前の自分は過去である。現在は過去でもあるのだ。では現在=10年後の自分にとっての過去が未来=10年後の自分にとっての現在を招くだろう。
ゆえに未来が……ひいては過去も現在も確定している。我々に自由はない。
これが決定論……あるいは機械論か運命論だ。
ちなみに、この文章には謎が一つあるが、気づいてしまったらその利益だけを気にしておいてほしい。
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