人間の補填

 伊藤浩司さんみたいなことを言っちゃうけど、マジで自分のすべてを好きになってもらいたい。誰か1人くらいには。

 それが無理ならせめて補填しないでほしい。
俺は学歴と知識のために大学に行くけど、学歴と知識があるから俺の欠点を許してね?なんていつか言うつもりはまったくない。
 発達障害があっても勉強がすごくできればある程度のカバーが効くみたいな感じで、人間のある部分を人間のある部分で補う、補填が社会には存在するが、ある意味でそれは個人の否定だ。

 人間はいいところとよくないところの集まりだ。なのに、学歴で障害を無かったことにする、なんてのは学歴の肯定でその個人の否定になってしまう。だから俺は、自分がどれだけ一部で優れていようと、よくないとこはよくないと言われたい。

 俺のすべてを好きになってくれないなら俺のすべてを認めてほしい。

 俺も、他人に補填をしない。たとえ友人が天才でも性格がカスならカスだぞと伝える。
 それが王道じゃないか。神聖視も差別もなくて。

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