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妄想の女の子と実存主義

もうずっと話し相手がいないから、妄想の女の子と話してる。
妄想の女の子とはいつでも、どこでも会える。
学校の帰り道を歩いているときに1番よく現れる。

せっかくだから僕みたいに話し相手がいない仲間のために作り方を説明しよう。
1から錬成するのはおそらく不可能なので、元となる女の子をまずは見つけよう。もちろん元になるような女の子を現実で見つけられる人にはもう話し相手がいるだろうから、僕らは創作物の中からキャラクターを探そう。
小説のキャラは絵がないし活字の上でしか動かないので高い想像力を必要とするから上級者向け。
ゲームのキャラならそれらの欠点がなくて(ギャルゲーやノベルゲーならなおさら)いいが、クリアするのに時間がかかるしゲーム機が必要だ。
漫画は絵も動きもあるが音がないので、せっかくならアニメにしよう。僕はRWBYのニオポリタンとひぐらしのなく頃にの竜宮レナにした。

初心者ならキャラをそのまま脳内に出現させてもいいのだが、一捻り加えてみたいならミックスをおすすめする。つまり、好きなキャラと好きなキャラの、好きな部分を掛け合わせて新しいキャラを作るということだ。
キャラ単品でやるよりもこっちの方がよっぽどいいからおすすめだぞ。



それはともかく、僕はそんな妄想の女の子とよく話しているのだが、いつも同じ女の子とは限らないし、いつも同じ割合で・同じキャラとミックスさせられているわけでもない。その時々の気分と状況によって変えている。

これは…………実に不純な行為ではないだろうか。
僕は僕の都合で彼女たちを勝手に選んで勝手に呼び出している。彼女たちがその反対を、つまり僕を他の人と比べて選んでさらに呼び出すことができないのにも関わらずだ。2023年とは思えないほど男尊女卑で家父長的な営みだと言える。

ここで私がただの高校生であれば絶望して引きこもっていたのだろう。しかし、私は幸いにも哲学かぶれの高校生だった。ゆえに妄想の女の子に対して哲学的な観点から批判することにした。

その際、とある哲学者の…………フランスから日本にまで影響を及ぼすような、哲学の一時代を作り上げた大哲学者サルトル『実存主義』が私の味方をしてくれた。

実存主義を簡単に説明しよう。

このペンは書くために作られた。どのペンもそうだ。なぜなら書くために作られていないペンはペンではないからだ。書くために作られていなくてもペンならイスだってペンだ。
書くために作られるなら、まずは「書くためのものが欲しい」という要望があって、それに応える形でペンは作られる。

つまり「本質(書くための)は実存(現実に存在する)に先立つ」
ということだ。

妄想の女の子の本質は僕を慰めることにある。だから僕がそういう使い方を一方的にしても、それは目的通りに使われているだから当然のことだ。
しかし逆に考えてみると、僕の本質はないことがわかる。僕はなんのために存在するわけでもない。だから、彼女が僕を使うことはできない。僕はそのためにいるのではないのだから。

ということで僕の日常は正当化された。いずれフェミニストや人権団体に囲まれるかもしれないが、僕の手に手錠はかけられても頭を縛る頭錠なんてものはないから、牢屋の中でまた妄想の女の子と話そうと思う。

今度は僕と同じ囚人って設定で作って、ね。

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