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死は花の香り

※この記事は約5分で読めます

子どもの頃からなぜか花の美しさに死の影を感じます。
ただ美しいのではなく死に魅せられるような錯覚に陥ります。

こんな感覚は自分だけかと思っていましたがそうでもないようで、梶井基次郎は『桜の樹の下には』という短篇小説で「桜の木の下には屍体が埋まっているから美しい」と表現をしています。

こういう人結構居るんじゃないかと思い、花=死のイメージについて、なぜそう感じるのか?
そのルーツを調べてみました。

※記事を読むのが面倒な人は目次から飛んでオマケだけでも観て行ってください。

桜の花には美しいだけじゃない
何か死を思わせる不気味な雰囲気を感じませんか?

メメントモリ

感覚の問題なので、共感出来ない人には理解されないと思いますが、
調べると花から死を連想する人って結構居るようです。
Mr.Childrenの花 -Memento-Mori-なんてまさに、タイトルが花と副題がメメント・モリ(死を想う)ですし、花と死のイメージを結び付けていますよね。

さらに言えば何かが上手く行かなかった時や、
何かの終わりを表現する時に「サクラ散る」という表現を使いますし、
第二次大戦中の日本で神風特攻隊に志願した兵隊は「亡くなって散る桜になる」と書き残しています。

記憶が明確じゃなので出典を書けませんが、
柳田国男の本でも桜と名のつく地名のところは、死体捨て場だったと書かれていた記憶があります。(この記載について詳しく知ってる人は教えてください)

何かと花と死を結びつける日本人は多いように感じます。

美しいほどにそこに儚さと死の匂いを感じます

花と死にまつわる宗教的な意味

昔からお見舞いなどに花を持っていくのは常識で、お見舞いに限らずお祝い事の際にも花を贈ります。
良い時にも悪い時にも花を贈る習慣は日本に限らず世界中にあり、
花を見て怒る人はいないなんて言葉があるように、花を貰って怒る人はいません。

それは霊や神様も例外ではなく、お墓参りの時に亡くなった家族に花を贈るのは普通の事ですし、鎮める花の祭りと書いて、鎮花祭と言う御霊や厄神を鎮めるためのお祭りもあります。
※鎮花祭 (ちんかさい)又は(はなしずめのまつり)

鎮花祭の歴史は古く奈良時代から始まり、古事記や日本書紀にも記載がある歴史のあるお祭りです。
鎮花祭は疫神が活発化すると言われる桜の散る頃(4月中旬)に執り行われますが、春は気温が上がり花粉や埃が舞い、
細菌も繁殖しやすくなる時期なので昔の人は経験上この時期に病気が流行りやすい事を知っていました。

ちょっと話がずれましたが、葬式などの宗教的な行事にも定着していて、桜の散る時期には病が流行るからこそ、花の散り際に死の匂い感じ取っていたのかもしれません。

※御霊(みたま) 神様や祖先の霊を尊敬して呼ぶ言葉
※厄神(やくじん) 疫病や災害などの災厄をもたらす神

墓場に咲く彼岸花は茎に毒を持ち害獣から
眠りについたご家族の遺骨を守ってくれる優しい花です

神話の時代からあった・花と死の連想

他にも古事記には、花と死を関連付ける記載があります。

神話の時代、天から地上に降り立ったニニギノミコトは、
笠沙の岬で出会った桜の精である美しきコノハナノサクヤ姫に一目惚れし、
姫の父親である山の神オオヤマツミノカミに結婚の許可を貰いに行きます。

この申し出に喜んだオオヤマツミノカミは、
もう一人の娘である石の神イワナガ姫とも一緒に結婚するよう勧めますが、
ニニギノミコトはこの申し出を断り美しい容姿のコノハナノサクヤ姫だけを嫁として迎え入れ、
容姿の醜いイワナガ姫をオオヤマツミノカミの元へ送り返してしまいます。

容姿だけで相手を選ぶニニギノミコトにオオヤマツミノカミは失望しこう言います。

「イワナガを娶れば子孫は岩のように長命となり、コノハナノサクヤを娶れば子孫は美しく生まれるでしょう。
あなたが二人をともに妻とすれば、子々孫々長い命を美しく暮らすことが出来たというのに、
あなたはイワナガをあっさりと戻してしまい、コノハナノサクヤだけを妻に迎えてしまった。
これから人間は、花のように美しく生まれるが、花と同じ短い命でやがてその美しさも衰える事になるでしょう」

こうして人間の寿命は短くなり、老いと死を迎えるようになったと書かれています。

どれほど美しい花も
いつかは枯れて散ってゆく
人の一生そのもですね

まとめ

古事記を読んだ人も読んでいない人も花に死のイメージを持つ人はとても多いと思います。
実際僕も古事記を読む前から花=死のイメージを持っていました。

これは神話の時代から日本人の根源に根付いたイメージなのかと思いきや、世界中でも似た感覚があるようで、
花ではありませんが人が永遠の命を逃す伝説は海外にもあり、
バナナ(目先の欲)と岩(永遠の命)の選択に人間はバナナを選び永遠の命を逃し死を迎えるようになったという、バナナ神話と呼ばれる伝説も存在します。

トーマス・マン(小説家)「命というものは、儚いからこそ、尊く、厳かに美しいのだ。」という言葉があるように、命は美しいがゆえに儚いという価値観は世界中で共通の認識なんですね。

こういった伝説は人間の不死へのあこがれから生まれたモノか、はたまた短い命だからこそ気高く美しく生きよ、という教訓なのかどちらなのでしょうね・・・

以上が僕の花に思う勝手なイメージです。
脈絡もなくだらだらと書いてしまいましたが調べてみると花に限らず、
植物の咲いて枯れるというサイクルを人の一生と重ね合わせる価値観は、意外と古く多くの人が持ってる感覚なのかもしれませんね。
貴方は死に花の香りを感じたことありますか?

ここまでお読みいただきありがとうございます。
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おまけ

最後に僕の撮った花をご覧ください
僕には花はこう見えます

藤の花
百合
バラ
睡蓮
睡蓮
彼岸花

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