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私の中の(身近な)エシカル

ご無沙汰しております。キャメルです。

記録によりますと、私が最後にnoteを投稿したのは今年の3月だそう。え、ほんとに?

それからしばらく経って、今改めてMacに向かっています。会社のパソコンがWindowsだから、なんだかぎこちないタイピング。もしかしたら単に寒さで指が動かないだけかもしれないけれど。

仕事、続いています。

急にベテランになれるわけじゃないし、かといってずっと新人というわけにもいかず、求められた成果が出せない日々はちょっと過酷です。

働いている人って全員超人なのではないかという思いに身を横たえてしまいたくなりますが、そこから少し歩みを進めてみますと、みんなけっこう行き当たりばったりだったりすることがわかってホッとします。勝手な話ですね。

余裕を持って、自分のペースで仕事ができる環境なんてそうそう無いですよね。ないけど、ないなりにバランスを取ってやっていこうと頑張っているだけですよね。

私自身がそんな状況に身を置いているからか、「正当な対価」について考えることがよくあります。営業車のフロントガラス越しに見える横断歩道を渡る人たちを眺めていたりするときなんかに。

現在の私は月給で働くサラリーマンです。もともと一定の残業代が含まれている契約のため、極端な言い方をすると「毎日残業しても定時で帰っても」ひと月にいただくお給料は同額です。

では定時に帰っているのかというと…全然そんなことはなく、毎日ある程度残業しています。

納期という意味で緊急対応のある仕事に就いていますので、突発的に業務がねじ込まれることもあります。言ってみれば「いきなりだけど急ぎでよろしく」的なものです。

本来準備期間が必要なものを「明日ほしい」「今日ほしい」「他の業者ならやってくれるのに」と言われるような、そういう類の緊急対応です。

そんなときは「ああ、『私の時間』って軽んじられているなぁ」と虚ろな気持ちになります。

苦い喉を感じながら電話をかけたり車のエンジンをかけたりしています。こうして「平日は疲れて何もできないというライフスタイル」が形成されていくのだなぁ、と。

でも、考えてみれば私にそんな連絡をしてくるお客様も「その先のお客様」に急な依頼をされて困っているんですよね。

もしかしてこの人もより立場が上の人に時間を、生活を奪われている…?

そしてあるとき思ったのですが、「その先のお客様」のずっと先、最後の最後にいるのは「一般消費者」、つまり自分自身なのではないかと。

うーん。

先日、用があって百貨店に行ったのですが、けっこう人出も戻ってきている印象を受けました。お土産物を買い求めるお客さんが多くて、フロア内が歩きにくいくらいになっていて、マスクはやはり息苦しく、ちょっと酔いました笑。

どのお店にも商品を物色する人が集まっていましたが、品切れしている商品は全然ありません。店舗スペースは広くないので、在庫を置いておくスペースもそれほどないように思うのですが。

…それって、もしも品切れしそうになったら急ぎで持ってきてもらうことになっているのではないでしょうか。

現場から工場へ工場から仕入れ業者へ、仕入れ業者の先の業者へ…玉突き事故みたいに「いきなりだけど急ぎでよろしく」連絡が続いていくのではないでしょうか。

…私の考えすぎですかね。

売り切れたら売り切れでいいじゃないか。予想よりもいっぱい売れた、そういうことだってあるよ。

身勝手な感想ですが、正直な気持ちを言えば私はそう思いました。売り切れたら店を閉めて、いつもより早めに帰った方がハッピーじゃないのか。そうすれば工場も早く閉められるし、仕入れ業者も急いで車を運転しなくて済むし、その先の業者も残業しなくて済むし、常備しておく必要がないから食品ロスも減って、結局みんなハッピーなのでは?

そんなハッピーな毎日を阻害しているものって、私たちお客さんの「せっかく行ったのに売り切れで買えなかった」というクレームなのでは…

…もちろん何がハッピーかは人それぞれ違いますよね。それはわかっているつもりです。でも少なくとも私は早く帰って料理したり、ゆっくり湯船に身を沈めたりしたいよ。

百貨店からの帰り道、お土産用に買ったお菓子を持って電車に揺られながらそんなことを考えていました。

私が定時で帰れないのは、休日も会社のスマホを持ち歩かなければならないのは、お客様の無茶な要求を「できません」と突っぱねる力がない会社のせい。

でも、冷静になってお金の流れを辿っていけば私自身のせいなんじゃないかと思って、とても怖くなりました。

-何かを買うとき、サービスを受ける時、度を超してわがままではなかったか-

-目の前にいるのが「生きている人」であることを忘れていなかったか-

目の前にいなくても、その先には必ず「生きている誰か」がいて、その「誰か」にはオンリーワンの生活があり、人生がある。私と同じように。

だったら私の行動次第で、未来は変えられるはずだ。

やめよう。もうやめよう。そういうの。

ひとりで熱くなって、ひとりで行動していることに変わりはないのですが、少しでも自分の気持ちを言葉にしたいと思い、こうしてキーボードを叩いています。

本当のエシカルって何なのか…今の私の力ではすぐにわからないけれど、考えること、行動することはやめないようにしようと思います。

エシカル消費なんて生活に余裕がある人だけが実践できる取り組みでしょ、と頬杖をついていた私ですが、いざ自分が辛い目に遭うと急に当事者意識が芽生えるのだから勝手ですよね。

でも勝手でいい。変わったんならそれで、と思います。

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