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西郷隆盛誕生

みなさん、西郷隆盛(さいごう・たかもり)は知っていますか?

有名な人物ですし、大河ドラマの主人公にもなったので、知らない人はいないと思います。

今や、西郷さんは東京上野のマスコットキャラみたいになってますね。

さて、この西郷さんですが、もともと隆盛ではありませんでした。

もともとは「隆永(たかなが)」だったんです。

いつ頃まで「隆永」だったか知ってますか?

実は1869(明治2)8月まで「隆永」だったんです。

ですから、幕末期に活躍している時も、江戸無血開城の時も、名前は「隆永」だったというわけです。

では、どうして明治2年に「隆盛」になったのかというと・・・。

それは友人の間違いによるものでした。

友人の吉井友実(よしい・ともざね)さんが、間違って「隆盛」にしてしまったんですね。

そもそもの発端は、公文書作成が原因でした。

公文書なので、名前は、武士の本名である諱(いみな)を書く必要があったのですが、このとき、西郷さんは薩摩に帰省していて、不在だったのです。

武士の本名である諱は、主君や親だけが呼べる名前なので、他人の諱を聞くことは滅多にありませんでした。

仲のいい友人なら、何かの拍子で聞くこともあるでしょうが、普通は聞いたことがないというのが、当たり前だったのです。

しかし、作成の期日は迫っている。

困った政府の役人は、仲のいい友人である、吉井さんに尋ねることにしました。

いわゆるダメ元で聞いたのです。

吉井さんも、困ったことでしょう。

それでも、頭を捻りながら、何とか思い出そうと努力しました。

そして思い出したのです。

「確か、吉之助さんの諱は隆盛だった。」

こうして、公文書に「隆盛」と記載されたのでした。

しかし、それは間違いでした。

実は「隆盛」という名前は、父親の西郷吉兵衛(さいごう・きちべえ)さんの諱だったのです。

東京に戻ってきた西郷さんも驚愕したことでしょう。

「そいは父上の諱じゃ。おいの諱は隆永じゃっど。」

と言っても仕方がありません。

公文書に記載されてしまったのです。

こうして、それ以降は「隆盛」として活動していくことになったのでした。

というか、吉井さん・・・どうして、親父さんの諱の方を覚えてるんだよ。

事実が判明した時の吉井さんの表情は、どんな感じだったのでしょう。

タイムスリップが可能になったら、帰って来た西郷さんと吉井さんのやり取りを見てみたい、今日このごろなのでした。





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