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後漢時代の地方行政区分里が最低単位。 十里で、一亭。 亭には亭長がいる。 十亭が一郷。 …
袁紹と曹操の若い頃袁紹本初(えん・しょう・ほんしょ)の袁家は、高祖父の袁安(えん・あん)…
若き日の曹操曹操は、頓丘(とんきゅう)の令に昇進。 令は県の長官。 大県を令といい千石。…
187年(中平4年)ころ 冀州の刺史、王芬(おう・ふん)、南陽の許攸子遠(きょ・ゆう・しえん…
188年(中平5年)8月 曹操(34)は都に呼び出され、典軍校尉となった。袁紹は中軍校尉となった…
189年(光熹元年) 中常侍や黄門侍郎は、董卓招聘の情報を耳にし、揃って何進を訪れ陳謝し、御…
189年(永漢元年)9月1日 献帝劉協(9)が即位。永漢と改元。 189年(永漢元年) 兗州牧の橋瑁元偉が董卓の命により、東郡太守となる。 尚書の周毖(しゅうひ)仲遠(武威郡の人)と城門校尉の伍瓊(ごけい)徳瑜(汝南郡の人)の推挙による。 それ以外にも、御史中丞の韓馥文節が冀州牧、平民だった王匡公節(財貨軽んじ、施し好きの任侠)は河内(かだい)太守となっている。 また、孔伷公緒は豫州牧、劉岱は兗州牧、張邈孟卓は陳留太守に任命されている。 全て、周毖仲遠と伍瓊徳瑜の推
189年(中平6年)12月 光熹・昭寧・永漢の三つの元号を廃し、中平に復す。 189年(中平6年)1…