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なんか文章論について書きたくなったので、大好きなスピッツの歌詞を参考にして書いみた。

前回の飛行機チケットの予約記事で私が書いた記事は82記事になった。

初めて書いた記事は2023年4月13日なので、

現在7月3日までの83日間で、この記事を含めると83記事になるという事は、1日平均1記事書いたことになる!

記事内容の分量に差はあるし、毎日更新ではなかったけれど、書きたいことが持てていたという事実を嬉しく思います。


自分の身を削って書く「アンパンマン」タイプ


書き手にはいろいろなタイプがいると思うが、自分は「自分の身を削って書く」タイプである。それはつまり、「自分の経験していることしか書けない」ということである。

小説家タイプみたいにフィクションが書けないし、そういうものを「書こう!」という気持ちがそもそも起きない。自分が書けることは「経験したこと」であったり、「自分が対象に対して思ったこと」であったりするので、自分から何かを想像して創造する能力が皆無だなと思う。

なので、書くというのは、自分にとってみれば、「アンパンマンみたいに自分の顔を誰かに渡す」ようなイメージである。

ジャムおじさんが勝手に新しい顔を作ってくれるわけではないのが、アンパンマンではない自分の辛いところではある。なので、書いてばかりいたら自分が無くなってしまうので、当然、新しい経験をしたり、何かに対して考えたりして、自分の”顔”を保たないといけない。

「あなたの文章は、卵焼きを食べたいという人に、目玉焼きを出すようなモノね。」


大学にいた頃に、ライティングの授業を受けていたことがあるが、その時に、担当の先生に言われた言葉である。その発言に対して、何か思ったことは無いのだが、そう言われたという事実だけが印象に残っている。

個人的には、トビタテの選考過程で書く力が向上したなと思う。毎日毎日、書いてはダメ出しを食らって消し、また書いてはダメ出しを食らって消すを繰り返していたので、1歩ずつであるが改善されたと思う。

しかも、ダメ出しして下さったのが恩師の先生であったことも大きいと思う。先生は口には出さないが、その喋り方や本棚に並んである本から察するに、言葉に対して相当気を遣う方であることが理解できたので、その方から手ほどきを受けられて本当に良かった。

卵焼き食べたい人に目玉焼きを出してしまう人間でも、トビタテに受かったので、個人的にはそれでもいいやと思っている。


自分の経験を書きたいのは、”薄っぺらくしたくない”から


自分の経験したことだと、熱量を持って書けるから良いなと思う。そこに、嘘が無いから良いなと思う。正直な気持ちで素の自分を出せるから良いなと思う。自分の思いが層になって厚みが出るから良いなと思う。

話は変わるが、「食べ物は体の栄養素、音楽は心の栄養素」と思ってる人間なので、自分にとって音楽はとても大事である。


状態に合う音楽を選ぼう

 音楽療法の基本に 「同質の原理」 という考え方があります。そのときの感情に近い音楽を活用するという法則で、悲しいときには静かで落ち着いた音楽を、怒りなどで興奮しているときにはアップテンポの音楽を聴くのがよいという考え方です。
 気持ちが落ち込んでいるときは、ダンスミュージックのような、元気で激しい曲が気持ちを盛り上げてくれそうな気がしますが、これは間違いです。気持ちが音楽についていけず、同調できずにかえって落ち込みが強くなってしまうことがあるからです。
 うつのときに、元気でポジティブな友人に会って、やたらと元気よく接してこられても、こちらは委縮してしまいますよね。こちらの沈んだ状態に静かに寄り添ってもらえてはじめて「つらいんだ」と心を開いて痛みを分かち合えます。
 同様に、音楽があなたの心に寄り添ってくれると、その感情は消化されは
じめ、エネルギーが回復します。

 誰かに話を聞いてもらうだけで気持ちが楽になるのと同じで、あなたに寄り添ってくれる音楽は、それだけであなたのうつや心の不調をやわらげてくれます。

橋本翔太『聴くだけうつぬけ』 なぜ、音楽は心の状態を整えるのか?


音楽の趣味としては、昔の音楽が好きで、今の音楽はあんまり…って感じである。なんか個人的にはAKBが出始めた頃から、あんましって感じになった。そもそも論、団体でやってるのが好きじゃない。バンドならグループで活動はアリだと思うし(それぞれが役割を持っているから)、一人で独立している人を見ていると素敵だなと思う。AKBは一人で独立できない奴らが群れを成してるだけの団体芸だから、あんまし好きじゃない。

この考え方は、タップダンスのラ・ラ・ランド批判と同じ。笑

なんか、「数で圧倒しとけば、見てる側は『凄い!』って思ってくれるよね?」みたいな作り手の甘えみたいなモノが見え透いてきてあんまり好かない。・・・「個人技で勝負せずに、団体という数の力に逃げた作品だな」というのが、ラ・ラ・ランドの個人的な印象です。

ジーンケリーがタップダンスの可能性を広げたように、自分も森の幼稚園の可能性を広げたい


そもそも、何が「人生は紙ヒコーキ」だよ、聞いてる方が恥ずかしくなるほど、歌詞がダサ過ぎるわ!「人生は…」って言えるほどでもない奴らが歌ってるのが滑稽過ぎるし、ただ歌わされてるだけのロボットにしか見えなくて悲しくなる。

で、YouTubeに音楽批判の動画があがってて、面白かったので掲載☟
(45秒から立川談志が登場。笑)

登場する人物の意見に大賛成である。特に1:51からの松山千春と4:28の淡谷のり子の「どれも同じ」には完全同意。

個人的には小1の頃に親が持っていたスピッツのCD(RECYCLE Greatest Hits)を聞いて以来のスピッツファンなのだが、スピッツの歌詞と西野カナの歌詞を比較して書いた面白い記事があったので、切り抜いて保存してあった部分を掲載(太字は僕がつけました)☟

(その記事のリンクを探しても今は出てこなかったので、残しておきたいという意味合いもある。)

では、なぜこの歌詞が良いとされるのであろうか。端的に言うと、それは草野マサムネの感性のフィルターを通った表現だからだ。スピッツの音楽はよく「少年の心」を歌っていると形容される。 夢見がちで、ピュアで、ちょっぴり妄想癖があって、女の子にまだ幻想を抱いていそうな少年の心理が表現された「愛してる」が「君と出会った~」なのだ。

この点において、草野マサムネの「愛してる」と西野カナの「愛してる」は大きく違っている。西野カナは「愛してる」をそのまま「愛してる」、「会いたい」を「会いたい」と表現しているのに対し、草野マサムネの歌詞は、自身のパーソナリティが大きく投影されているのだ。

この点において、ふたりの作詞は根本的に性質が異なっている。ではなぜ、「愛してる」を「愛してる」と表現することが作詞的にダメなのか、それは次回で詳しくお話しよう。

好きという気持ちはあるし、好きな所もたくさんあるけれど、その時の気持ちを表現するには「好き」では足りない気がする、という風に。自分の抱いている漠然とした感情を言語化することは、とても難しいのだ。

それなのに、西野カナを始めとする多くのアーティストは簡単に「愛してる」「会いたい」と歌ってしまう。「愛してる」「会いたい」と歌うことがダメな訳ではない。何回も言うが、感情の表現としては間違ってはいないし(私だって恋人には会いたくなるし)、それに至る前置きの表現、流れがあれば十分に意味のある表現になる。しかし、「愛してる」「会いたい」と言えば全てが伝わると思っていたのなら、それは大きな勘違いだし、表現として非常に安易な取捨選択と言える。

さて、その「切り捨てられてしまうもの」とは一体何であろうか? それは人によって違うし、人の数だけあると言っていい。

なぜなら、同じ「愛してる」という感情も、人の数だけあるからだ。草野マサムネの場合はそれを「君と出会った奇跡がこの胸にあふれてる きっと今は自由に空も飛べるはず」と表現した。彼のパーソナリティを強く反映している、彼でないと出てこない表現だ。この点で、草野マサムネの歌詞は非常にオリジナリティが高く、優れている。

一方、西野カナはどうだろう? 上記のような理由により、「会いたい」「愛してる」「ありがとう」「なんでも」などの言葉は、決して彼女のフィルターを通った言葉とは言えない。そもそも誰でも使う表現だし、言葉の彼女らしい組み合わせもない。マツコ氏の言う「自分なりの言葉」とやらが、全くないのだ。この点において、彼女の歌詞は「感情表現としては間違ってはいないが、作詞表現としては薄い」と言わざるをえないのだ。感情表現と作詞表現は、同じ表現という括りでも、全然違うものでるから。

以上が、「なぜスピッツの歌詞は評価されて、西野カナの歌詞は酷評されるのか」に対する私なりの見解である。

記事の切り抜きですが、なるほども思える内容です。

個人的に好きなSpitzの歌詞3選

①恋のはじまり

これは2005年のライブ映像がメチャクチャカッコいんですよね。青い光に包まれているスピッツが最高です!

で、歌詞としてはお気に入りが2つあります。1つ目は、

思い出せないのは君だけ 君の声 目の感じ
思い出したいのは君だけ ぼやけた優しい光

ですね。思い出せないってのは、好きな人と会った緊張のせいで、あんまし覚えてないってことなのかなと。で、次に、「思い出したいのは君だけ」って来るのが痺れますね。この簡単なコントラストによって、君との関係性と君への思いを見事に表しているのが素晴らしい!曲の冒頭からこんな素敵な歌詞が聞けるなんて、マジで神曲ですよ!笑

2つ目が、2番のサビの部分の、

それは恋のはじまり そして闇の終わり
花屋のぞいたりして

っていう部分ですね。この「花屋のぞいたりして」っていうところにめちゃくちゃ共感しますね。だって、普通、花屋なんて行かないじゃないですか。そんな全然気にならない花屋が気になってしまうという事は、「ちょっと花でもプレゼントしようかな?」って思ったり、「気になるあの子に似合う花はないかな?」と思って足を運ぶわけで、そう思った時点でまさに「恋のはじまり」ですよね!!!

女性だったら、「試着室で思い出したら、本気の恋だと思う」みたいな部分があると思いますが、その男性バージョンが「花屋をのぞいたら、恋のはじまりだと思う」だと思ってます。笑

日常的に、花屋に客として来ている男性を見ると、「お幸せに!」って心の中で思っちゃいますね、この曲を知って以来…笑

まぁ、別に恋人の為だけでなくて、別れる先生の為にとか、家族の為にとか、いろんな理由で花屋に行くと思うんですけど、一つ共通しているのは、「皆、その人の大事な人のことを思って花屋に行っている」ことなので、花屋というのは優しい気持ちで溢れた人が集う、優しい空間だなと思ってます。

②正夢

これはマイベストソングです。

やっぱり、サビの

どうか正夢 君と会えたら
何から話そう 笑ってほしい

ですよね。夢で見るくらい好きな君に、いざ現実で会ってみたら、「何から話そう」ってテンパるんだけど、その状態の中で一個明確にある気持ちが「笑ってほしい」ってことなんですよね。痺れますね。

この「笑ってほしい」っていうのが最高過ぎるし、この気持ちがあるうちは全てが大丈夫ですよね…

やっぱり、出会った時に「笑ってほしい」と思えるような相手であるというのは、恋のはじまりの「花屋のぞいたりして」と同じで、自分の気持ちを測るための有効な指標になると思います。

③夢追い虫

自分のプロフに「ユメで見たあの場所に立つ日まで削れて減りながら進む夢追い虫。」って書いてますけど、この曲からとってます☟笑

なんかね、一歩一歩進む大切さを思い出させてくれる曲なんですよね。

スピッツ自身が8枚目のシングル「空も飛べるはず」でヒットしたわけで、1枚目から売れていたわけではないことを考えると感慨深いものがあります。どの曲がヒットするかは運次第ですが、曲を出す度に、

ユメで見たあの場所に立つ日まで
僕らは少しずつ進む あくまでも

という精神で頑張ってきたのかと思うと、自分も頑張ろうという気持ちになります。

個人的にはこの記事が

1番皆に読んでもらいたい記事ですし、熱量を込めて書いたつもりなんですけど、あんまし「いいね」はつかないし、ビュー数も少ないので、思い通りにはならないなと感じています。笑

逆に、ただ動画を載せて紹介しただけのこの記事は、いいねが20以上もついて、ビュー数も200を超えてますからね。笑

書き手が一生懸命書いたとしても、それが成果に繋がらないというのはよくあることですよね。逆の事例ですが、スピッツのヒットソングである『ロビンソン』は、作られた当初は『そんなに売れないんじゃないの』と草野マサムネは思っていたようです。

書き手と受け手が一心同体ではないので、自分的には一つ一つを一生懸命やるしかないですよね。笑

あと、歌詞の続きで、

命短き ちっぽけな虫です
うれしくて 悲しくて 君と踊る

は、全力で生きなければと思わされますし、

上見るな 下見るな
誰もがそう言うけれど
憧れ 裏切られ 傷つかない方法も
身につけ 乗り越え
どこへ行こうか?

は、目標(ユメで見たあの場所)を持つことの大切さが伝わってきます。

西野カナのマーケティング作詞


一方、スピッツと対比させられた西野カナの作詞法は以下の通り☟

したたかな“マーケティング作詞法”。

西野はまず、“企画書”として楽曲のコンセプトや設定を考えだした後、一旦自身で詞を書きだすと告白。その後はアンケートや友人への取材を行い、多かった回答や自分の意見を交えながら歌詞に落とし込む“マーケティングリサーチ”手法を採っていると明かしていった。

統計や聞き込みといった大掛かりな作詞法に、ネット上では驚きの声が続出。しかし一方で、《ネタ集めてるだけやん》《そりゃ多かった回答使えば共感を得られるわな》《何か薄っぺらい歌詞だと思ったら自分の経験じゃなかったのかよ…》《「トリセツ」を「私のための歌」って言ってる子がめちゃくちゃ多い理由が分かった》《共感性のために多かった回答を利用するって、要はウケだけを狙った産業音楽なのね》《アーティストなら人がどう思うかより自分の伝えたいことを詞に載せようよ》などといった声も目立ち、楽曲同様に“賛否両論”を巻き起こす事態となっている。

“アーティスト”に対して作家性やクリエイティビティを求めている視聴者は、まるでIT企業のようなヒットさせることを主眼にした“マーケティング作詞法”に裏切られたように感じたのかもしれない。

“売れれば”いいのか?西野カナが公開した“作詞手法”に批判の嵐

自分で作詞してるのに、そこからわざわざアンケートしに行く料簡が理解できない。自分が思ったことを歌えばいいのではないかと思う。

個人的には、《何か薄っぺらい歌詞だと思ったら自分の経験じゃなかったのかよ…》《アーティストなら人がどう思うかより自分の伝えたいことを詞に載せようよ》という立場だな。

「こういうこと書いたら皆から良い反応がもらえる」と思って書いてるのって、その時点で自分ではなくて、他人に書かされてるようなもんだから、個人的には嫌な感じがする。人間なんて所詮「命短き ちっぽけな虫」なんだから、自分が書きたいことを、自分の言葉で表現していくのがいいでしょ。

個人的には、別に誰にも見られなくても、誰かからリアクションがもらえなくても、その為だけに書いてるわけではないので、自分の思ったことを自分の思った通りに表現していきたいなと思う。

コロナ茶番の記事を書いて、フォロワーの数が減ろうが関係ない!笑(実際に-2になった)

それと、そういう「表現したい」ってことを自分の中に持てること自体が素晴らしいことだと思うから、人の目はそんなに気にしなくても良いと思う。売れるとか人気が出るとかは殆ど運だと思ってるので、人事を尽くして天命を待つ的な態度が良いかなと思う。

社会に対して、ぶつけたいメッセージがある。言わずにはいられない。ならば、当然、表現のスタイルが決まってくる。内容が形を決めるんだ。 どう表すか。それは自分次第。無限の自由がある。

『壁を破る言葉』岡本太郎

一番大切なことは、「ぶつけたいメッセージがあること」だと思ってます。

おまけ:自分が集めてきた言葉達


大学生の頃、広告のコピーとかが好きで、気になった言葉は保存していました。こちらにそれを掲載していきたいと思います。

君の夢は僕の夢

おしゃべりはスパイになれない

京子は世界でゴールドを取った女なんだぞ。堂々と戦いなさい!私は今まで勝てって一度も言ったことはないでしょう。でも、今回は勝ちなさい。銅メダルを取りなさい!

お遍路をしたことで・・・でもなくなっちゃうんです、自分の願い事なんて一つも。人のことばっか

勝って話題になる力士よりも負けて話題になる力士になれ

十を聞いてやっと一を知るタイプ

でしゃばるなんて感情を、生まれる前に母親の胎内に忘れてきたのではないかと思うほど奥ゆかしい職人気質の方達

27歳は歌舞伎の世界で老婆

離婚というのはね、互いに忙しければしない。暇なときにあれこれ余計なことを考えるから離婚するんです。

もちろん私は日本語が分からない。でも、あなたが真面目に質問をしてくれているときに、私も真面目な態度を取らなければ、失礼な気がしてね

人生の癖

正しいと間違いの間に、面白いがある

色々なことがあったりするとへこんで悩んで「もう辞めようかな」、でも最後までどんなにへしゃげてもケツさえ地面につけへんかったら、なんぼへこんでももう一回ジャンプできる、そしたら前より高く飛べる。いつも上を目指すといつか手が届かんこうなる、体が伸び切ると人はジャンプできん、時々嫌なことがあって思いっきりへこむとまた高く飛べる

意識は「高い・低い」じゃなくて、「濃い・薄い」

自作

意識が高いとか大学生の頃言われてたんですけど、なんか違うなって思ってて、自分なりの結論がコレ。対象に対する意識が、自分の場合、濃かっただけなんです。それを、「高い」とか「低い」とか言って、相手にいちゃもんつけるのは違うなと思いました。人の意識を100%としたら、自分は森の幼稚園に95%の意識を使っていただけなんです。だから、濃いだけなんです。「高い・低い」の問題じゃない。意識の分配に対する濃度の問題。

つまらなかったら年を取るわ

いいか、やつらのルールなんか無視しろ。いっぱい失敗しろ。いっぱい考えろ。お前は必ず成功する。

エジソンの母 第2話

名前は、親が子どもに送る、はじめての手紙かもしれない

たぶん、一人より二人のほうが、人生は楽しいから

結婚しなくても生きていける。そんなあなたは結婚しても生きていける。

結婚式に来てくれる人は、あなたの人生を支えてくれる人です

自分の夢まで、自己採点しないでください

「人々」は残酷だが、「人」は優しい

ダゴール

顔を近づけてほしくて、小声でしゃべった

仕事を聞かれて、会社名で答えるような奴には、負けない

まっすぐの人間だからよくぶつかる

恋が着せ、愛が脱がせる

あんたなんか、大好きよ

目を閉じても見える人

悪い女ほど清楚な服が、よく似合う

今日は別人みたいなんて 失礼しちゃうわ うれしいわ

雨が嫌いだったころ、私はまだ誰のことも、好きじゃなかった

いい予備校は、不幸中の幸いです

私には、好きでもない仕事をしているあなたのほうが、狂っているように見える

ゴッホ

布地は染具合で、酒は香りで、花は匂いで、人は言葉遣いで判断される

フランスの詩人 ポール・ヴァレリー

君の大好きな音楽が 誰かに嫌われる前に

電車内での音楽漏れを啓発するポスターの文言

「面倒くさい」を捨てよう

ゴミ出しのマナーを啓発するポスターの文言

仕事探しにサーチあれ

きるは生きるの大部分

きになる、はすぐにすきになる

いちばん人を動かす感情は「会いたい」だと思う

社会に出るって、かいしゃにはいることですか。社会を変えていくのが、社会人だと思う。

主婦になると値段が気になる。母親になると産地が気になる。

相合い傘 ぬれてる方が 惚れている

おそらく天才ではない君へ。努力の天才であれ。

いい会社に入りたい人じゃなくて、いい会社をつくりたい人がほしい。

食欲の秋が来ても、食欲に飽きは来ない

弔辞

8月の2日に、あなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに本当に残念です。

われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された第一世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品やその特異なキャラクターは、私達世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりから我々の青春は赤塚不二夫一色でした。

何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていたときに、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。『赤塚不二夫がきた。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。』この突然の出来事で、重大なことに私はあがることすらできませんでした。終わって私のとこにやってきたあなたは『君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住む所がないから私のマンションにいろ』と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断をこの人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。それから長い付き合いが始まりました。

しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで夕方に集まっては深夜までドンチャン騒ぎをし、いろんなネタを作りながらあなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。ほかのこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、未だに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。マージャンをする時も、相手の振り込みで上がると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。あなたがマージャンで勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたは全ての人を快く受け入れました。そのために騙されたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかしあなたから、後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことがありません。あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活全てがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目からぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては『このヤロウ逝きやがったな』とまた高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を無化していったのです。

あなたの考えは全ての出来事存在をあるがままに前向きに肯定し受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰(いん)の世界から解放され、軽やかになりまた時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。

今、2人で過ごしたいろんな出来事が場面が、思い浮かべされています。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外へのあの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで一生忘れることができません。

あなたは今この会場のどこか片隅にちょっと高いところから、あぐらをかいて肘をつきニコニコと眺めていることでしょう。そして私に『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』と言っているに違いありません。あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。私は人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは夢想だにしませんでした。

私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを他人を通じて知りました。しかし、今お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の一つです。合掌。

平成20年8月7日、森田一義

ノックさん  あなたは僕の太陽でした あなたの熱と光のおかげで 僕は育ちました あなたの温かさと 明るさに包まれて 生きてきました ノックさん あなたはみんなの太陽でした あなたが現れるだけで その場がパッと明るくなりました あなたが笑顔を見せるだけで みんな心が癒されました ノックさん あなたは大きな太陽でした あなたの前に立つと 自分がいかに些細なことにこだわり つまらないことに悩み  とるに足らないことで 人と争っているか 自分自身の小ささを思い知らされました ノックさん あなたは今 西の空を真っ赤に染めて 水平線の向こうに沈んで行こうとしています でも 僕の胸の中には今も 真夏の太陽のようなあなたが ギラギラと輝いています あなたと初めて会った昭和35年1960年8月5日から 最後となった平成18年2006年4月4日までの 想い出の数々が まるで宝石のようにキラキラと胸一杯に詰まっています 六甲のベースキャンプ  ハウスボーイ時代にはサミーと呼ばれ 宝塚新芸座では「みたひさし」と名のり 「あきたけいすけ」から「横山ノック」 漫画トリオになったノックさん はじめて買ったブルーバードファンシーデラックスが盗まれ セドリックから アルファ・ロメオ ジュリアスプリントGTヴェローチェ 運転手付きのタッチダートに乗り換えたノックさん 我孫子町から沢之町 西宮北口から千里津雲台 桃山台の豪邸から芦屋に移り住んだノックさん 漫才師から参議院議員 大阪府知事から 最後は被告人にまでなったノックさん 相方や車や住まいや肩書はコロコロと変えたけど 奥さんだけは生涯変えなかったノックさん 血の滴るようなティーボーンステーキが大好き あんころ餅や大福餅といった甘いもんが大好きで 何より麻雀が大好きだったノックさん 女性が大好きだったノックさん 料理を作るのがうまかったノックさん 麻雀は下手クソだったノックさん 女性を口説くのが上手かったノックさん お酒は弱かったノックさん 麻雀も弱かったノックさん 女性にも弱かったノックさん マーロンブランド扮するナポレオンの髪型を真似して ピンカールしていたノックさん あの頭で10日に一回散髪に行ってたオシャレなノックさん 進駐軍仕込みの英語が堪能だったノックさん そのくせ カタカナは苦手だったノックさん 人を笑わせるのに自分は泣き虫で 賑やかなことが好きな寂しがり屋で ありがた迷惑なほど世話焼きで ああ見えて意外に人見知りで 甘えん坊で 頑固で 意地っ張りで 負けず嫌いで 天真爛漫で 子供っぽくて かわいくて そして いつでも どんな時でも 必ず 僕の 味方をしてくれたノックさん ノックさん 本当にありがとうございました ノックさん 本当にお疲れ様でした そして ノックさん 本当にさようなら   芸人を送るのに 涙は似つかわしくありません 不世出の大ボケ 横山ノックを 精いっぱいの笑顔と 拍手で天国に送ってやってください ノックさんに  献杯(けんぱい) ありがとうございました。 (2007年06月07日 大阪・リーガロイヤルホテル)

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