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下書き保存されたコトバ達の行方

noteに限らず発信をするとき、いざ自分の想いを書き綴っていくと、ちっぽけなことに思えたり、誰かの真似事のように感じたりすることってありませんか?

パソコンを開く瞬間には頭の中にたっぷり詰まっていたコトバ達も、文字にしてみると「え?そんなこと?」「それだけ??」
と取るに足らぬことのように思えてきて、[下書き保存]のボタンを押してそっと閉まう、みたいなこと。

そんな風に無意識に自分以外の誰かと比べてハードルを上げてしまっている人も多いのではないでしょうか。私もそのひとりです。

情報が溢れ零れている社会に生きる私たち。
日々、誰かの立派な発信や胸打つ発言達を目にしている状態だから無理もないのかもしれないけど、

どう思われるかを考え過ぎるあまり『書く』という行動自体が制限されてしまうのはもったいないのかもな…というところに落ち着き、今またnoteの編集画面に向き合ってこれを書いています。

もっといえば、やりたいことが見つかったのに頭であれやこれやと考えてみたら、「やっぱり無理かも」って諦めちゃうこと、ありませんか?
これ、ひじょーーーーにもったいないなって感じるのです。

確かに、全てのことが上手くいく保証なんてないし、無傷では済まないかもしれない。(傷負うって結構なことだし…)
とてつもなく大きな壁に遭遇して気持ちがポキっと折れそうになることもあるかもしれない。

私は今まさにそのフェーズ真っただ中で、フリーランスであるが故、真っ白な編集画面に文字を書き出すときに感じる『で、何を書く?』みたいに、
毎日が『で?次は何をする?』状態で。

それが愉しくもあり、恐怖に似た気持ちを含んだ心細さとして感じることもあったりして。

でも、はじめてみることで見えてくる景色もある。

その一歩を踏み出したことで初めて知ることがあったり、出逢う人たちがいて、想いに賛同してくれる人が現れて形になっていったり、仲間ができたり。

最初は白紙の真っ白な編集画面だったけれど、書き出していくとなんとなく形になってきたりするような、そんな感じで最近は過ごしています。

頭をかかえながら"うんうん”唸っている日ももちろんあるけど、どんな状況であっても『自分がどう感じるか』『どうしたいのか』そういった気持ちを俯瞰して整理をすることで進むべき道はおのずとみえてくるのかも、と思えるようになってきた。
そういった意味でも"書く”ということは思考のアウトプット化になるから、恩恵も多いように思う。

完璧主義の人ほど、あれやこれやと思考を巡らしてしまうことが多い。

頑張り屋さんなひともそう。
周りの人のことを常に考える優しいこころの持ち主さんも。

でも、あなたがそっと〔下書き保存〕したそのコトバたちが、誰かの希望や支えになることだってあるかもしれない。

もっと自由に、もっと愉しんで発信をしてみる。
すると、きっと書く前とは違った景色がみえてくるはずで、
もしかしたら『次』に繋がる何かが生まれるかもしれない。

そんな期待を込めて、今日も思いのままをここに綴ってみる。






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