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小学一年生の頃の私

 昭和47年4月、私は千葉県市川市のとある小学校に入学した。あの頃は学校付近の川沿いに植えられた桜並木が、入学式に合わせたかのようにちょうど満開になったものだ。

今日は関係ない写真が続く。
いつもの公園にて。

 近所の仲良しのピカピカの一年生5人と、その中の男子の二つ上のお兄さんとで登校班が結成された。早速ワイワイ楽しく初登校。渡る橋の上から、散りゆく桜の花筏を眺めながら。

 その友達たちとは何故かうまい具合に?クラスがバラバラとなっていた。一年生の学年は8クラスあった。学校に慣れて来るとクラス内にも親しい友達が出来た。放課後にはそれぞれの家を行き来したりして毎日がキラキラと輝いていた。 

モサモサのアンブレラツリー。隣の木の虫喰いの葉っぱも陽の光を浴びてキラキラ。

 あの当時は本当に長閑だった。子供たちが毎日の習い事で忙しいということもあまり無かったと思うし、私も週一のピアノくらいだったか。その時は近所の同級生のお母さん先生から、もっと専門的な先生に移った頃だっただろうか。ピアノのレッスンはハッキリ言って好きではなかった。そのことについての記事はこちら。もしよろしければ。


 楽しい日々は夢のように過ぎていった。小学校生活で初めての夏休みが近づく頃、学校に置きっぱなしだった道具などをせっせと持ち帰り(学校までは約1kmの道のりだった)あまりの暑さに閉口したことも今となっては懐かしい思い出だ。

連日の暑さに夏バテ気味でいつも気分が悪かったあの頃。

 まさに夏休み直前だったある日、母が担任教師との面談のために学校に呼ばれて行った。児童それぞれの学校での様子を、長期休み前に個人的に伝えるというアレだ。子供だった私はその行事も特別には気にしていなかった。別にやましいことも無かった(はずだ)し。

とは言っても少しだけソワソワ。何て言われているのだろう。

 母が担任教師から聞いてショックだったのはこちらのひとことだったようだ。


人の陰に陰にと隠れて目立たない、おとなしいお子さん


 母は東京の深川育ちの生粋の江戸っ子で、性格はブラジル人?かと思うようなラテンのノリ。先生の私に対する評価に大層不満があったのだろう。今思えば何か良いことも言ってくれたのでは?とも思えるのだが、母が繰り返したその言葉が今でも忘れられない。

 そして夏休みを楽しみにしていた私の心にとどめを刺すような出来事がさらにあった。終業式の日に通信簿なるものが渡されるということを、私はその当日まで全く知らずに呑気に過ごしていたのだった。(そういえば初めて「宿題」が出た日もその意味がわからず家で母に訊いたのだった。)結果はまさに悲惨だった。

 音楽と体育以外はオール3。最初の評価には5はつけない決まりだったと思う。体育と音楽は4だったがほぼ全てが普通。小一の最初の学期には試験も無かっただろうから、日頃の授業態度が評価の決め手だったのだろうか。どれだけぼんやりとした子供だったのだろう。(ヘッダー写真のツグミのように。)


いつもニコニコして、お友達と仲良く遊んで、きれいな声で歌を歌います。授業中には積極的に手をあげて発表するようにしましょう。

記憶にある通信簿の評価欄より


 というような言葉が添えてられていた。人の気質などというものはほぼ生まれつきのもので、環境や努力などでは簡単に変わることはない、と高校の時の保健の授業で習った記憶がある。その同じ時期に、別の教科の教師に

「君は文章にした時と対面で話す時の表現の仕方が違いすぎる。表現すべきものを持ちながらそれをしないのはエゴである」

と言われたことがあったけれど。そう言われてもねぇ。。JKの心はまたしても傷ついた。憧れの教師からの言葉だったので余計に。

スポットライトを浴びることもなく夏休みに突入

 二学期になってから母の「今日は発表したか?」攻撃が続き、参観日などは本当に憂鬱だった。学年末の学習発表会では、ピアノ伴奏に立候補しろとの無茶振りな発言もあって、私の心をさらに苦しめた。

 結局その年の発表会のピアノ伴奏者として、あるピアノ男子に白羽の矢が立ち、私は指揮者となったのだった。曲目は「かっこう」。一年生の締めくくりの忘れられない思い出の一つとなった。指揮には自分なりにベストを尽くしたけれど、子供ながらにも「親の期待には応えられなかった」との後ろめたさがあったのかも知れない。達成感というよりはほろ苦い思い出。


 このように実の子供たち(特に長子の私)には厳しい面を見せた母も、孫たちには寛大で優しくて、デレデレだった。今となっては90近い超高齢者となって、性格もさらに穏やかにもなった。人は変われば変わるもの。

昨日、まだ充分に楽しめた地元の桜

 先週末の天気&ゴタゴタで、母の今年のお花見はもう無理かなと思っていたところ、弟からこの写真が送られて来た。小学校の登校時に、毎日眺めていた川と桜並木。

 桜並木は伐採され当時のものではないけれど(私が高校生の頃にあった台風で川が氾濫、川幅の拡張工事が行われた。川沿いの家に住んでいた友達家族は立ち退きを余儀なくされた)、その後このように見事に復活してくれた。やはり地元の桜は特に思い入れがある。先週1週間は、noteタイムラインに流れて来たみなさんの桜の写真を眺めつつ、Spotifyの桜songsにどっぷりと浸ったのだった。

 桜の花の開花は、遠い昔の切ない思い出を運び、来年への不安をも思い起こさせる。母が来年も元気で、この同じ場所でお花見ができますように。



【オマケ】
モントリオール近郊に移住した義弟家族から送られてきた先日の皆既日食の写真。17歳の姪っ子の撮影。

滅多に見られない神秘的な天体ショー。

 ヘッダー写真は昨日撮影した、寒緋桜の枝に留まるツグミ(sabiá サビアー)。皆さまにとって良い1週間になりますように♡

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