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サンパウロ州立イピランガ博物館(Museu do Ipiranga)へ


 先週の水曜日に、以前住んでいたアパートの友達から、「明日、博物館に行ってみない?」と急なお誘いがありました。サンパウロに赴任されている方の大学生の息子さんが訪ねて来られたということで、アテンドで博物館にお連れするとの話でした。

 オリジナルのイピランガ博物館は1885〜90年にかけて建設されました。2022年にブラジルのポルトガルからの独立200周年を迎えるにあたり、老朽化した建物をリフォームすることになっていたのです。その詳しい経緯は、ブラジル日報さんのこちらの記事をご参照ください。

 それ以前の博物館には、私も一二度訪れた記憶がありますが、展示物にどのようなものがあったのか...…詳細は忘却の彼方。皇帝であったドン・ペドロ一世の豪華絢爛な食卓の再現とか、昔の農業で使われていた道具とか。そんな乏しい記憶しか残っておらず、建物のその美しい外観だけが全てのように思っていました。

 そして、日本から家族や友達が来伯した際は、職員たちのストライキ、または長引くリフォーム作業で休館中。そんなことも私の心の中で博物館のイメージダウンに繋がっていったのかもしれません。

 9年に渡る長いリフォーム期間が終了したのは2022年の9月。その後2ヶ月間は一般の入館料が無料だったこともあり、見学時にはネットでの予約が必須でした。

 現在は事前予約の必要はなく、毎週水曜日、月の始めの日曜日、サンパウロ市政記念日、ブラジルの独立記念日などの無料開放日を除く平日(月曜日は定休日)の入館料は900円弱です。尚、州立のサンパウロ大学(USP)の管轄下にあるので、USPの学生は無料。私たちが訪れたのは一般人も無料となる水曜日でした♡

鉛色の空。朝のうちは随分と冷え込んだ日でした。
遠くに見えるあそこにも、後で是非行ってみましょう

 館内に一歩足を踏み入れると、昔の記憶がいっぺんに払拭されました。とにかく何もかもが美しい。そして広い。エリアは以前の2倍に拡張され、展示室は12から49室に増えているとのこと。


 館内での撮影は許可されていますが、カメラの持ち込みはNG。

歴代の英雄たちの像。ガラスの球体(ânforas de cristal)の中には、ブラジルのテリトリーを流れる川から、10リットルの水が採取されて飾られています。
1822年、「独立か死か!」と初代皇帝であったドン・ペドロ一世が叫んだことで有名なイピランガの丘でのシーン。うちの子供たちも授業でその絵を描かされていました。
独立か死か!


これはポルトガル人とブラジルのインジオとの最初の出会い(1500年)の頃。ブラジルに最初に到着したポルトガル人はペドロ・アルヴァレス・カブラウ。おそらくブラジルの子供たちが最初に覚える歴史上の人物ではないでしょうか。
街を作っていくのに宗教の教えは不可欠です。


サンパウロの昔の街の様子を音声で聴いています。説明の箇所がライトで照らされ分かりやすいです。この時はigrejas(教会)の説明でした。あれ、お子ちゃまが。。
ところどころにこんな音声ガイドが設置されています。

 各国からの移民の方達が使った生活用品、調度品なども数多く展示されていました。

ミキサーの隣りはポップコーンを作るための鍋
オーブン
右は冷蔵庫

 この他にも、コレクターにとってはお宝の古い通貨、ドイツのマイセンの陶器の人形、お菓子の入っていた空き缶や子供が遊んだ玩具などもありました。歴男くんは意外にもこのような展示物にも興味を示してじっくりと回って行きます。質問も容赦なく。。これは嬉しい誤算でした。

 生活用品の部屋で、小学校の校外学習と思しきグループに遭遇しました。年齢は11、2歳くらいだったでしょうか。たまたま日本人のツアー客と一緒になって、引率の先生があちらのガイドさんに話しかけていました。

「失礼します。私はこの子たちの担任なのだけれど。。この女の子の夢は、日本を訪れることなのですよ!」

 児童も先生も非日系人です。その女の子が先生の後にハキハキと続きました。


「そうなんです。私は日本の食べ物も大好き。飼っている猫の名前はSushiって言うのよ」

 ガイドさんさんを介してひとしきり会話を交わすと、一同「Sayonara」と挨拶をしてなかなか礼儀正しく、微笑ましかったです。子供たちの体操着のネームを見た友達が、日系人のコミュニティのある地域の学校みたい、と言っていました。普段から日本文化に触れる機会があるからこそのアピールだったのですね


ネオルネッサンス建築の美しさよ。
建物の昔の骨組みをところどころで見ることが出来ます。
裏側から見せる


 イピランガ博物館は歴史的な展示物、美術品に加え、建築物としても見どころが満載です。近代的な内装でありながら(トイレは広くバリアフリーであり、ジェンダーレスでした)、昔の古い骨組みを所々で見せてくれるというサプライズも。トイレの列に並んでいた時、見知らぬセニョーラと、「あの彫刻物のデリケートなことと言ったら!」と盛り上がってしまいました。(すぐ上の写真です。)

屋上からの眺め。我が家の窓からは遠くにこの黄色い建物が見えるのに、ここからうちのアパートは見えないなぁ。

 朝の10時の開館時間に駆けつけて、ここまでで13時を回っていました。ここから先はとにかく急げ急げ。


外に出るとすっかり晴れ渡って汗ばむような気温でした。
最後に目指すのはあそこ!


カリフォルニアにありそうな椰子の木。いつもの公園のとは種類が違います。
椰子の実の一種ですね。


 博物館と並んで見どころとなっているペドロ皇子(後のドン・ペドロ一世)の勇姿。独立記念碑です。これは帰宅してから知ったのですが、こちらの廟にドン・ペドロ一世と二人の妻たちが葬られているそうです。そういえば歴男くんが、「階下におりられるのですか?」としきりに気にしていました。さすがです。

 全ての見学を終えて、私たちが公園を後にした時には、ゆうに14時を回っていました。最後は多少端折りましたが、皆が大満足の4時間だったと思います。何より、青年がとても喜んでくれたのが嬉しかったです。彼は今回は個人旅行で安いチケットを手に入れ、あちこちを経由してブラジルにやってきたそう。でも、次回は国際協力の仕事で再び渡伯することが決まっているようでしたよ。


帰宅して息子の部屋から博物館の方角を見ると。

 やはり見えました。引っ越す前に「博物館が見える!」といち早く報告してくれたのは息子でした。今回私たちは車で移動しましたが、息子の足だと自宅から博物館まで30分ほどで到着できるそうです。


 偶然ながら、土曜日の娘のバスケットの試合がイピランガ地区であったようです。試合の後、肺炎からやっと体調が戻ったBFくんと公園内をぶらぶら。時間的に館内の見学は出来なかったようですが、夕陽を浴びる建物の様子がまた素敵ですよね。イピランガ博物館づいた週でした。

【ブラジル国歌 Hino Nacional Brasileiro 】

 サッカーやオリンピックの競技場でお馴染みのブラジル国歌。冒頭でイピランガの地での雄叫びのシーンが歌われています。


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