カツセマサヒコ『明け方の若者たち』を読んだ。

高円寺、下北沢、ヴィレバン、雨、月、エイリアンズ、フジファブリック、夜の公園、深夜のコンビニ、こと、おもった、「彼女」
読んでも読んでも"カツセマサヒコ"だった。

こんなに著者を感じながら小説を読んだことって今までなかった。だって、著者が元・大手印刷会社の総務部だったけど書いてたブログを見出されて編プロに転職して今はフリーで、真面目にTwitterしてどんどんデカくなって、aikoミスチル好きで雨の日に聞くプレイリストとか作る人で、この本のレビューもエゴサしてて、とか「著者に関する知識」の範疇を明らかに超えてる。
これはカツセさんが書いてきたものや語ってきたことを見てなかったらあり得ないこと。
それをまるっと含めて、なんか不思議で特別な読書体験だった。

あとは、やっぱり、長編の小説がわたしは好きだなと思った。
文字の端々に宿ってる作者のカケラ的なものの濃度が高くて、読んでくとそれが自分に段々摂取されてく感じ。
で、読み終わると物語は終わってるのに取り込まれたカケラが自分の居場所探してぐるぐるし始める感じ。
で、カケラのお陰で欠けてた何かが治ったり、ぐちゃぐちゃだったピースたちの枠が出来たり、ずっと刺さってたトゲぶち壊してくれたりするやつ。
これはやっぱり140字では、短編では、なし得ないことな気がする。だから長編は読むと疲れる。体力消耗なんだよな。読んだだけなのに。

特にこの本は本当に疲れた。
わたしの中にある、先の見えない不安を、執着になりつつある恋を、「こんなはずじゃなかった」を、それでも流れてく日々を、どうにも眠れない夜を、絶望を、この本は「ゴールデンアワー」だと言った。
まじ?正気?読後の今、カケラの暴動が起きてる。勘弁してほしい。

すぐにもう一回読む気にはなれないので、別れるかもしれない彼氏とまじで別れた2週間後くらいに死にそうになりながら読もうかな。
装丁の青と、栞の青と、目次のフォントの美しさに追い討ちをかけられて多分死ぬ。

何が言いたいのか分かんなくなってきた。

とにかく、カツセマサヒコが小説をかく人になって私はとても嬉しいってことだ。
生意気な感想だな。

次が楽しみ。
あの"カツセマサヒコ"の中の、知ることのなかった"カツセマサヒコ"が創作したものが今度は読んでみたいな。

…生意気だな。

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