私が入ると店が混みだすって言う人。
「おっかあがレジに並ぶと、さっきまで誰もいなかったのに、気づいたら後ろにお客さんの列ができるんだよ」
そう言ったのは、私の父で、これを初めて聞いたのは私が小学生高学年のときだったような気がする。
当時は「へぇ〜、おっかあはすげぇなぁ」と言って、ヒジにできたカサブタをポリポリしていたような気がする。
今思えば、父がそう言っていたときの父の年齢は30歳とそこらだったから、子どもである私たちに対してのある種のマウントと考えると、なんだかダサいというか、こそばゆい気がする。
さっきまで誰もいなかったのに、
自分が入店するとお店が混み始める。
こういう感覚はきっと誰もが感じたことがあるのではないか。
そしてこれを言葉にして誰かにそう伝えるという行為の裏側には、自分は人とは異なり少し特別で、神さま的な何かから祝福されている、みたいな自負心が見え隠れする。
そう思うからこそ、なんだかダサいな思ってしまうし、こそばゆい気持ちになるというものだ。
同じようなセリフを、大学生のときにも友人の口から聞いたことがある。
とほざいたのは、高校からの友人の河村くん(仮名)であったが、それを聞いたとき、私は「出た、それ」と笑った。
笑ったところで河村くんは本当にそう信じているから「いや、ほんとなんだって」と言って、その理由を説明してきたが、理由もへったくれもない。
愛すべき「俺が店にくると、お客さんが増える」現象である。
これと限りなく近いものを連想しなさい、と言われたときに思い浮かぶのは「晴れ男」「雨女」などの天気に関するやつだろう。
別に統計をとったわけでもないのに、旅行先で「俺は晴れ男だから任せろ」と言われると、心の中では「出た出た」と思っていたのが20代中盤。
32歳になったいま、そういった天気に関する何かを言われると、正直なところ何も思わない。
思うのは「そうなんだ」だけである。
頼りになるなぁ。
こういったことを口に出せるのは、自分に対して根拠のない自信を持っている人種の人たちだと思う。それを指して先ほど、以下のように書いた。
自分を信じられる、というのは本当に素晴らしい。
そういえば。
何度も登場する元カノもそういうタイプだった。
根拠のない自信であふれており、にも関わらず、言行一致というか、実際にその通りになっていくタイプ。
自分がコントロールできるはずもない自然や運までコントロールしちゃうようなモーセのような人だった。
そういや、とても不思議なことがあった。
元カノと付き合っていたとき、私たちはお互いに大学生だったから、基本的に暇だった。大学生が暇なときにすることといえば?
神社巡りでしょ。
いつも北海道内のさまざまな神社に行った。
神社にいったら何をする?
おみくじでしょ。
初めて北海道神宮に行って、
おみくじを引く前、彼女はこう言った。
私が「どうして?」と聞くと、
彼女は真顔でこう言う。
そういうもんかねぇ、と言っておみくじを引く。
彼女がおみくじを開く。
私が彼女の手元を覗き込んでみると、そこに書かれていたのは「大吉」の2文字だった。
とよく元カノは言っていたが、その言葉のとおり、いく神社いく神社で、彼女は必ず大吉のおみくじを引き当てた。
私はといえば末吉、中吉、吉などの中途半端な結果に終わっていて、彼女の大吉おみくじを見るたびに「どうも不思議だ」と首を傾げたものである。
こう考えてみると、先ほどは小馬鹿にしていた「私が入るとお店が混みだす」も「晴れ男だから任せて」も、実はあながち間違っていないのではないかとも思う。
そもそも、当たっているかどうかは関係がないのだ。そう信じていたならば、それでいい、というわけである。
うろ覚えな話だが、パナソニックの松下幸之助は採用面接のときに、必ずこんな質問をしていたらしい。
この質問に対して「はい、運がいいです」という学生をこぞって採用していたんだとか。
この記事で言いたい1番のことが何かというと、
「自分を信じてもどうしようもない」と思いながら世界や他人をも冷めた目で見ているよりは、たとえ口に出さなくたって根拠なしに自分を信じている人の方が、人生は楽しそうだ、ということである。
だって、うちの父さんも母さんも、友だちの河村くんも、元カノも、みんなみんな人生が楽しそうだったもんね。
そう考えると、人生はすべて、思ってることと言ってることの辻褄を合わせるための行動の連続、ということになるかもしれないね。
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