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他人と差をつける唯一の方法。

高校1年生の数学のテストでは100点満点で8点とかだった。勉強は好きじゃなかったので、学年でもビリケツのほう。

テストの結果が優れている順に各教科ベスト20人くらいが掲示板に貼られていて、テスト後はみんながその掲示板を見にいく。私は指をくわえて眺めていた。

1年生のとき、そこに載ったことは一度もなかったが、2年生になってから高校を卒業するまでは、各教科で常に私の名前が載るようになる。


単純な話で勉強するようになったのだ。
チヤホヤされたくて。


テスト前の2週間は友だちとミスタードーナツに缶詰になって夜遅くまで勉強した。教え方の上手な友だちのおかげで、成績は比較的よかったんだけども、学年総合1位にはとうとうなれなかった。家庭科や情報、保健体育などの副教科では手を抜くタイプだったからだ。

授業中は漫画を読みながらも、先生が黒板に書くことを自分なりに咀嚼してノートに書き写し、美しく整えることが好きだった。

日本史や世界史の資料集で「ここはおもしろい」と思うところは、ページの一部をハサミで切り抜いてノートに貼り付け。

完全にオリジナルな自分だけのノートを作ったものだが、そのノートってのはあくまで自分が趣味で見返すためのもので、成績に直結する類のものではなかった。

ダーキにノートを借りれば、要点を抑えられる。

クラスの誰かがそう言ったからか、噂が一人歩きして、しょっちゅうノートを貸した。他クラスまで出回った。思うに、ノートを返してもらうときの「わかりやすかった」のひと言が聞きたかったのかもしれない。


「学年で総合1位を取るタイプの奴ってのは、やるべきことを淡々とやる奴なのだ、チヤホヤされたいだけの俺には無理だ」と思った出来事があった。

彼は同じサッカー部の男だったが、入学から卒業までの全ての試験で学年3位以内。テストのちょっと前に彼の家に遊びに行ったときのこと。

彼はこの記事に登場する重松シゲマツくん(仮名)だ。

ボロボロの一軒家に住む彼の部屋に行くと、小学生のときから変わっていないであろう机の上には、大量のチラシ。

チラシの裏は白紙になっていて、それをメモ代わりにしているのだ。ビッシリと文字が書き込まれていて、それを見た私は「1位になる奴は、やるべきことをやってんだな」と思った。私はここまで出来ない。普通の人が妥協するところで、私もきちんと妥協するタイプだから。


「ねぇ、勉強した?」

テスト前にこの質問をしてくる人の気持ちがよく分からなかった。他人が勉強したかどうかを確認してどうするのだ。第一、勉強の量の捉え方というのは人によって異なる。

勉強をしたにはしたけど、満足がいってないなら「勉強してない」になるわけだから、この確認にはあまり意味がないじゃないか。

「うわ、勉強してないって言って勉強してるやつじゃん」と言われることはなかった気がするが、もしもそう言われたら、シャーペンを鼻にブッ刺していたかもしれない。



会食に誘われて人に会い、だれかを紹介されることが増えた。会食はいつも2時間が経過すると宴もタケナワ。「じゃあ、もう一軒!」と言ってる中で早く帰りたくなるから「すいません、ちょっと時間が!」と言って帰る。


ある夜の21時頃の帰り道。歩いていると、全面ガラス張りのカフェの横を通る。ガラス張りだから、外からでも中が覗ける作りになっている。

そこにいたのはたくさんの人で、パソコンとにらめっこをしている人たち。サラリーマンなのかフリーランスなのか起業家なのかは分からない。

でも思ったのは、

わたしが会食をしている間にも、このカフェでこの人たちは何かを積み上げていたんだ。

そう思うと、なんだか差をつけられてしまった気がして悔しくなる。多くの人が妥協してしまうところで妥協をしない、ということが周りと差をつける唯一の方法なのに、私はそれをしていない、と思ってしまって、妙に自分に腹が立つ。


めっぽう負けず嫌いなのだ。


〈あとがき〉
結局は他人がサボっているときに愚直に積み上げる、ということが真理な気がします。ときたま、そんなことを必要としない天才たちに出会ったりもするのですが、とてもうらやましいです。今日も最後までありがとうございました。

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