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その後の菜穂子④【最終回】<#あなぴり 創作 全4回>

ピリカさんの前半部分と、ぱんだごろごろの後半部分は、こちら
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<承前>

翌日、いつものように職場に着いて、スーパーの従業員入り口から中に入ろうとした菜穂子は、そこにフロアマネージャーの佐々木が立っているのを見て、驚いた。

「佐々木さん、おはようございます」
挨拶だけして、佐々木の横を通り過ぎようとする。

すると、なぜか彼は、菜穂子の全身を上から下まで見て、勝手に頷くと、
「佐倉さん、こっちに来て」
と言い、付いてくるようにと合図した。

「あ、でも私、着替えないと」
「着替えなくていいから」
「売り場の準備をしないと」
「売り場には、こちらから連絡するから大丈夫」

訳がわからないまま、気が急いているらしい佐々木に付いて行くと、従業員エレベーターに乗せられ、降りたところは、6階フロアだった。
そのまま誘導され、店長室へと連れて行かれる。

隣の事務所なら何度も来たことがあるが、店長室に来るのは、初めてだ。

「店長、佐倉さんをお連れしました」
「ありがとう。やあ、急なことで驚いたでしょう」

月に一度の全店朝礼の時しか、顔を見たことのない店長が、そこにいた。

「実は、あなたに頼みたいことがあってね。
あと30分で、社長のご一行がこの店に来ることになっているんですよ」
「社長、ですか」
入社式以来、顔を見たこともない。
年に一度、全国の店舗に向けて、正月のビデオメッセージで、しゃべっているところを見るだけだ。

「ところが、接遇役の総務課長が急病になってね。さっき、出社できそうにもない、という連絡が来たんです。他の総務課員も、運が悪いことに、今日は全滅だ」

総務じゃなくても、経理でも販促でも、いくらでも接待役の出来る人はいるのでは。

そんな菜穂子の疑問がわかったのか、店長は言葉を継いだ。

「あなたに来てもらったのは、社長が、今日の店舗視察で、食品、特にデイリー部門の最近の傾向について知りたい、と言ってきたからなんですよ」

要するに、社長ご一行を、店長と一緒にそつなく出迎え、社長が満足するお茶を出すことができ、社長の知りたいことに答えられる社員を連れて来い、ということで、菜穂子が選ばれたらしい。
もちろん、今日が出勤日である、という要素が一番大きかったのだろうが。

佐々木マネージャーがこの役を菜穂子に押し付けたのは、多分、来賓用の一番いいお茶の葉がどこにしまってあるのかを知らないからだろう。

「あなたが優秀な社員だということは、佐々木さんからも聞いていますからね。今日はよろしくお願いしますよ」

菜穂子は頷くしかなかった。
何しろ時間がない。
あと20分で、正面入口まで、社長一行を出迎えに行かなければならないのだ。

店内は今、開店準備で手一杯だ。
菜穂子が抜けると、バイトさんたちに負担がかかって申し訳ないが、これも仕事だ、あれこれ言っていられない。
社長ご一行が無事にお帰りになったら、すぐに店頭に戻ろう。

そう思うと、菜穂子は覚悟を決めた。
精一杯やろう。

佐々木マネージャーと一緒に、会議室の状況を確認し、給湯室に行って、いつでもお茶を出せるよう、準備をした。
私服のままだったので、化粧室で鏡を見て、全身を整えた。

さあ、来い、何だって答えてあげるわよ。

緊張感はあったが、わくわくする気持ちの方が強かった。

菜穂子は、自分では気付いていなかったが、その時、顔に微笑みを浮かべていた。

佐々木マネージャーは驚いたような顔をしたが、反面、安心もしたらしく、店長や菜穂子と一緒に、社長を出迎えるために一階に降りるエレベーターに乗り込んだ。

エレベーターの中には、昨年の忘年会で楽しく話をした、販売促進部の年下男子君も乗っていたので、菜穂子はちょっと目を見張ったが、軽く会釈をした。
すると、相手も菜穂子のことを覚えていたのか、それまで緊張の面持ちだったのが、ほっとしたような笑顔になった。

どうやら、販促課長も、社長の接待役を若手に押し付けたものらしい。

しょうがないなあ、おじさんたち。
エレベーターのドアが開く。

さあ、お出迎えだ。


「はぁーっ、疲れましたね」
会議室の片付けをしながら、菜穂子がそう言うと、若手販促課員の宮沢も同調した。
「あまり熱心に社長が質問してくるので、答えられなかったらどうしようと、心配になりましたよ」
佐々木マネージャーが、
「いやいや、二人とも立派だったよ。堂々と受け答えしていて、見ていて安心だったもの」

菜穂子はびっくりした。
今まで、佐々木マネージャーからは、嫌みを言われたり、叱責されたりばかりで、褒められたのは初めてのことだ。

「あ、ありがとうございます、佐々木さん」
「お世話になりました」
宮沢も続けて言う。

「店長も喜んでいたようだから、今回の視察は大成功だね」

菜穂子は社長の質問に答えて言った自分の言葉を思い出していた。

「あなたはこの店に来てくださるお客様に、何を持ち帰って欲しいですか?」

それは、安全な食品、新鮮な野菜やくだもの、おいしいお惣菜、安心できる店内や、親切な従業員から受けたおもてなしの心地よさ。

けれども、何より、
「実際に店舗に来て、自分の目で商品を選ぶ買い物は楽しい」
という気持ち。

これからは、ネットスーパーがますます隆盛になるかもしれない。
重いものを持てないお年寄りには、宅配サービスは不可欠なものになるだろう。
家から一歩も出ないでも、買い物のできる時代が、すぐそこまで来ている。

それでも、実際に並べられている商品を見て、店員さんと言葉を交わして、今日のおすすめ品を選ぶ、お客様のその楽しさは、なくしてはならないのではないか。

菜穂子がそう言うと、社長は軽く頷き、
「これからも、お客様のために、よろしくお願いしますよ」
と言っただけだった。

それでも、最後に、社長ご一行と共に、食品売り場を実際に見て回った際には、他のフロアを見ていた時よりも、社長は熱心に、商品の陳列の仕方やお客様の動線を観察しているように見えた。


いつもの緑色のエプロン姿に、着替えてきた菜穂子に、ロッカー室の前で待っていた佐々木が言った。

「佐倉さん、次の昇進試験、受けてみない? 俺、推薦書、書くよ」
「ありがとうございます。受けます、ぜひ、受けさせてください!」

勢いよく菜穂子は言った。
佐々木マネージャーと宮沢は、その返事を聞いて、ほがらかに笑った。

(了)




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