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自尊心の高い人はカッコいい!

こんにちは、ぱんだごろごろです。
私のnoteにおけるテーマは、クリエイターページのトップ画像にも書いてあるように、
気位の高いひと】
です。

当初、noteで記事を書き始めるにあたって、私は世の女性たちに、

もっと自信を持って
自分を大切にした生き方をしてもらいたい
もっと人生を楽しんで生きていってもらいたい


と思っていました。

そういうひとたちの手助けになるような記事を書きたいと思っていたのですね。

そして、彼女たちに足りないのは、【気位の高さ】なのではないか、と感じていたのです。

その理由としては、


自己卑下をする人が多過ぎる
自虐的な物言いをする人が多い

どうして、そんなに素敵なのに、自分で自分を下げる言い方をするの?

世の中の人は、あなたほど頭が良くないんだから、あなたが自分を下げていると、本当にあなたのことを、あなたが言うような低い人だと思ってしまうよ!

もっと堂々と自分を認めてあげようよ!




子どもの頃、親から、人前で、
「うちの子どもは出来が悪くて」
なんて言われると、
「あ〜、お父さん、人前だから謙遜してるんだな」
と頭ではわかっていても、やっぱり多少は傷ついたでしょう?

自分で自分に同じことをしてどうする。


もっと自分をだいじにしよう。



そう、訴えたかったのです。


それと、自己卑下や自虐とまでは行かなくても、
他人からの褒め言葉への対応の下手な人が多過ぎる、というのも、
『こんなに素敵な人なのに、もったいない!』
と、私をヤキモキさせる要因の一つでした。


「お綺麗ですね」
「いやあ、美人だなあ」
「センスが良いですね」



と言われて、ちゃんと、
「ありがとうございます」
と返せる人が、驚くほど少なかったのです。


向こうが褒めているのに、なぜお礼を言わないの?


みんな、普段のマナーはきちんとしているのに、褒められると、身に着いた礼節がどこかへ消えてしまうみたいなのです。


「いえっ、私なんて」とか、
「とんでもない!」とか、
「目は確かですか!?」なんて、

そんなことは言ってはいけません。

そんなことを言うと、相手の発言を否定することになってしまいます。

相手に失礼ですよ。



結局、確固たる自分への自信と自尊心がないから、こんな返事をしてしまうことになるのです。

健全な自尊心の持ち主なら、褒められたら、相手へお礼を言うでしょう。

わざわざ褒めてくれた相手の好意に対して、感謝の気持ちを持つからです。



思い上がった人や高慢な人なら、褒められても、

「また? 当然でしょ」

という態度を見せるでしょう。



しかし、自尊心は、思い上がりや高慢とは、まったく違うものです。

自尊心は自分自身を大切にするものですから、相手の気持ちも当然大切にします。

褒めてくれた人には、感謝の気持ちを伝えたいと思うのです。

会社で、上司に褒められる事もありますよね。

「今回のプロジェクトの成功は、○○さんのおかげだね、頑張ってくれた功労者ですよ」

そういう時も、


「いいえ、私なんて、何もしていません!」
「あのアイディアはまぐれ当たりです」

なんて言わずに、

「恐れ入ります」
「恐縮でございます」

決まり文句で受けて、

「皆さんのお力のおかげです」

とさらりと受け流しましょう。

無駄な謙遜をするより、周りを立てる発言で、我が身を守るのです。


☆☆☆☆☆☆


さて、先ほど、「自尊心」「高慢・思い上がり」とはまったく違うものだと申しました。

それはそうですよね。
自尊心を持っている人は、自分が自分を大切にしているように、他人も他人を大切にしていることを理解していますから、他人へ対する敬意や思い遣りを忘れません。

しかし、高慢な人、思い上がった人というのは、他人は自分より、一段下がったもの、劣ったものと見做していますから、他人をぞんざいに扱い、結果として周囲から恨みを買うことになるのです。


noteでの最初の記事に、私は、【気位の高いひと】として、
「小公女」の主人公、セーラ・クルーと、
「枕草子」の作者、清少納言の二人を挙げました。

この二人は、そろって、高い自尊心を持ち、心の中の気位を高く保つことで、人生の困難に立ち向かって行きます。

自尊心の高い人は、自分自身に誇りを持っていますから、その誇りを傷付けるようなことは決してしません。

卑しいこと、恥ずべきこと、みっともないことは、自尊心の高いひとにはできないのです。

他人をおとしいれたり、自分の失敗を他人のせいにしたり、くどくどと言い訳をしたり、

そういう行為をすることは、彼らの自尊心が許しません。


つまり、自尊心の高い人は、カッコいいのです!



上に、セーラ・クルーと清少納言が出て来たので、noteでの第一回目に書いた記事から、二人を紹介した部分を以下に転載しておきます。


セーラ・クルーは、裕福な家庭のお嬢さまから、父の破産と死により、一転して貧しい孤児になってしまいました。が、そのあとも、不幸な境遇に負けることなく、王女様になったつもりで、誇り高く生きました。

清少納言は、家庭教師としてお仕えした、藤原定子(一条天皇の皇后)の気高い姿を、「枕草子」で描きました。
「枕草子」の中には、定子の不幸な姿は出てきません。
「枕草子」の中の定子は、一条天皇に深く愛され、お仕えする女房(侍女)たちに囲まれて、輝くばかりの幸福の中に生きています。

実際には、父の関白、藤原道隆の病死により、実家が没落し、叔父の藤原道長から数々の嫌がらせをされながら、24歳の若さで、三人目のお子様、媄子内親王のお産のあと、亡くなりました。
けれども、清少納言は不幸を寄せ付けない、誇り高い筆の力で、女主人藤原定子を、永遠の幸福の中に生かし、当時の貴族社会の人びとに、その記憶を植え付けたのです。


今日も最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
あなたのスキ、フォローに、心より御礼申し上げます。


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