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思ったことなら、他者への配慮なく、何でも言っていいものか(コメント欄)

こんにちは、ぱんだごろごろです。
今日は、季節の変わり目ごとに起こる、体調の思わしくない日なので、これを書いたあとは、一日寝て過ごすことにしようと思っています。

よって、今日の記事は、ごく短いものにするつもりでおります。

今日の記事のテーマは、

思ったことなら、他者への配慮なく、何でも言っていいものか


というものです。

実際には「言う」ではなく、「書く」ですが、
ある記事のコメント欄で、見かけたコメントが、こういう疑問を起こさせるものでした。

その記事は、ある漫画雑誌の編集部が、プロの漫画家さんの作品を掲載したもので、私の目には、その漫画作品は、さすがプロの手になるもの、と思わされる、立派なものでした。

もともと、その漫画家さんのファンだったこともあり、思いがけなく、大好きなシリーズの作品を、note上で読むことができて、ただただ有り難いと思った私は、スキのハートもオススメのボタンも押し、感謝のコメントを書こうと思って、コメント欄に進みました。

そこで、くだんの疑問を起こさせるコメントに出会ったのです。


そのコメントは、作者の漫画家としての技量を、否定的に評価するものでした。
私の目には、それまでと変わりなく、主人公がやや大人びたかな、という程度の変化しか感じさせない作品でしたが、そのコメント主の目には、作者の腕前が大幅に落ちたように見えたらしいのです。


人それぞれですから、そのコメント主が、どう思おうとその人の自由です。
日本では、言論の自由は保障されています。
noteの世界でも、言論の自由はあってしかるべきでしょう。

ただ、それが、あまりに現実から乖離しており、かつ他者を傷付ける可能性がある場合には、

何を言っても自由

と言って、それで済ませていいのだろうか、という疑問が湧いて来るのです。


仮に、その漫画家さんがこの否定的なコメントを読んだとして、まったく意に介さない、評価は色々だからと、気にしない可能性も大いにあります。

いちいち気にしていたら、やっていられない職業だ、という意見もあるでしょう。

でも、それでも、わざわざコメント欄に、悪口、中傷としか受け取れない文章を書く必要があるのでしょうか。


百歩譲って、コメント主の目に、今回の漫画家さんの作品が、とんでもなく腕が落ちたな、と感じさせるものであったとしても、それなら、スキを押さず、オススメもしないで、去ればいいだけのことだったのではないかと思います。

コメントを書かなくてはならないという決まりはないのですから。


私たちnoteに集う者は、普段から、コメント欄によるnoterさん同士の交流を楽しみにしております。
そのため、コメントを書く時には、非常に気を遣います。
お相手に誤解されるような文言はないだろうか、失礼な物言いはしていないだろうかとチェックをするものです。

それだけに、今回のコメント主によるコメントには驚きました。

思ったことなら、他者への配慮なく、何でも書いていいものか


他者を尊重することができない人は、自分を尊重することもできません。


最後になりましたが、私が書き込むひとつ前のコメントで、ある方が、
このコメント主の意見に対して、『私は、そうは思わない』という意味のコメントをしてくださっています。

私も同意見です。


最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
では、寝ます。


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