フリーランス15年。わたしの軌跡⑥

わたしの軌跡シリーズ⑥。


シリーズはマガジンにまとめています。↓

10ヶ月ぶりの更新なのに、なにもなかったかの様にすれっと再開しちゃおうという感じですけども。え?どんな話だったっけ?ですよね…。以前までの記事は上記マガジンにまとめているので、アレだったらさらーーーーーっと見てもらえたりすると…うれしいです。前回までは、当時の私の事や環境についての事や実際販売するまでにどんな事をやっていたのか。などを書いてきました。このペースだと15年分書くのに、途方も無い記事数になるのでは…という気もするけど書きながら考えようかな。やっぱり適当。


どんな販売形態だったの?

最初の販売から1年半位は、自作のサイトに別途ショップページを作成して、年に3、4回ほど「カートオープン」する感じでした。カートオープン3日前からプレビュー期間を設けて、お客様に商品を吟味してもらう。
と、いう感じ。質問などもこの期間に受けていました。
当時はメルマガもSNSも無かったので、すべてサイト内の日記とインフォメーションのみの告知。あの頃は現在のSNSの様なノリで、好きなサイトを日々チェックしていた時代だったので、それでも充分「告知」できていた様な記憶。
アクセス解析で地域や時間帯アクセス数などを把握して、どの時間帯に販売開始すればいいかな。とか、考えていました。今はメルマガはもちろん、SNSやLINE@などなど便利になったなーと思います。

販売するときは、毎回テーマが決まっていて(例えば2019 springは「ピクニック」みたいに)そのテーマに沿ったデザインの物をつくっていました。
ショップページのトップに配置する写真にとにかく力を入れてた気がする。
籠に作品を入れる。ジャムやパンを入れたオールドパイレックスのガラスジャーを配置。その周りに、ほど良く植物や作品を配置。写真を撮って、ポスター風味になる様に「2019spring  picnic!」みたいなロゴ入れをしてトップページに配置。その画像をクリックすると商品カテゴリページに飛ぶ。ような仕組み。

ショップページも、全部手作業。ひとつひとつ商品の写真を撮って各ページに貼り付ける。素材の説明やどんなイメージで作ったのか。どういう思いを表現したのか。ボタンはどこそこのアンティーク。なぜそのボタンを選んだか。などの説明も書く。
作品は一度試作を作ったあと、自分でしばらく普段使いして、使い勝手を確認したり洗濯して型崩れを確認したりしていました。
その後、また気になる部分を改良して試作を作る。その工程で施した使い勝手を工夫をした部分なども詳しく説明書きをしていました。抜け目なし。
「実物」を手に取ることができないままに商品を買って貰うには何が重要なのか。と、考えたわけでは無く「よし!これなら私も買う!」と言う「感覚」頼りだった気がします。お客さまから「サイトも作品も非常に丁寧でかわいい。使い勝手も良いし壊れない」というお便りをいただく様になって「あれ。これは普通ではないの?」と思い始めて「私は丁寧なのか!」と気がついていきました。
そこに気がついてから「私は、丁寧。を捨ててはならんな」と思う様になって「かわいいのに丁寧」と言うギャップを狙っていく様になりました。
見せ方にこだわって、あえて「俄然丁寧売りです!」と言うのは出さずに、手に取ってもらえた人にだけ伝わればいい。と、言う部分を大事にしていました。
ありがたい事に販売が不定期だったから、受注販売は出来ないのですか?というお問い合わせもいただく様になって色々考えては見たけれど。そもそも子育ての合間に作ることが出来る量なんか決まってる。と言うか、大切に作りたい。たくさん作るよりも、ひとつひとつ納得がいくものしか作れない。だから多売は狙わない。「あれを作りたい」と思った時に受注のものがあるとモチベーションが下がるかも。と理由で「丁寧に作りたいものを作る」言うスタンスを貫くことにしていました。

ちなみに、注文は全てメールで受けていました。売り切れたら手動で「sold out」の文字を赤文字で書き込んでサーバにアップする。の繰り返し。カートオープンの後は、パソコンに張り付いてせっせとメール受信→確認→sold out→サーバアップに明け暮れて、すべて売り切れた後は「その商品は時差で売り切れた後でした。申し訳ありません」と「注文お受けいたしました」の返信に明け暮れる。みたいな感じだった。カートサービスやBASEがあの頃欲しかった。

最初の頃は初期サイバーショットで撮った写真を使っていたけど、それがどうにも気に入らず。売り上げが立つようになってから最初にスキャナを買った。それからはトップ写真にはフィルム一眼レフや、当時気に入って使っていたトイカメラで撮ったフィルム写真を使うようになっていきました。

世界観とストーリー性
思い返してみると、当時から「世界観」をとても大事にしていた気がする。
そして「ストーリー」も大事だった。写真は「ストーリー」を見せるにはかなりのパワーツールだったのかもしれない。当時は「スマホ」など存在しない。携帯にカメラがついていたかどうかは覚えてないけど。ついていたとしても初期の携帯カメラの画質では「ネットに使おう」とさえ思いつきもしない程「携帯のおまけ」程度の画像だった。
そんな「世の中」だったから写真にこだわるという事は、それだけで人目を引いた。
それをツールにして「細部までこだわった物づくり」「ただのハンドメイドじゃない物にしたい」という思いを写真と見せ方にこだわる事でリンク出来たのかもしれない。そうそう。当時は「ハンドメイドだから安い」と言う雰囲気があった様な気がする。
初期の頃は、まだ自信も無かったから私の作った物も価格は安い設定でした。
けど、どんどん作りたい形や素材を追い求めていくにつれて価格も上げる事に。(この値段の葛藤はまた詳しく別途書きたい)


発信には、自分の子供に作った物を載せて「こういう子供だから、こういう工夫をした」とか書いていました。写真がが趣味だったので「作ったカメラストラップで実際こういう写真撮ってます」みたいな写真を載せたりしてた。全くプロモーションとかブランディングとか意識していた訳ではなく、自分の記録として書いていた部分が大きかった。このnoteの最初の方に書いた様に
私にとって「ネットや発信」は年子を抱えて「母として嫁としてちゃんとしなきゃ」の呪いを背負って、でも自分の時間も欲しくて誰かと繋がっていたくて。という心の葛藤の救いの場所でもあったし、自分のサイトが「自分色」と「自分の記録」「自分の作品」で埋め尽くされていく喜びもあった。

当時の画像が全く残っていないので(使っていたサーバも解約したし、なんせ10年以上前でパソコンも数台買い換えている)、最初と後半の「作った物」の変化をお見せする術もないし、サイトのスクリーンショットなども無いしなー。
と考えていたら、後半に使っていたJUGEM(ブログ)が生き残っていないか?と思いだして、探したらデータが残ってた。

一度ブログにアップロードした画像なので、かなり荒いのですが。

画像1

作風は、結構ポップでした。フィードサックと呼ばれるヴィンテージの生地や
海外のヴィンテージ服を解体した生地や現行品を織り混ぜて製作していました。
ストラップと蓋つきのポーチはトイカメラ用。サイドのポッケに予備のフィルムを入れておける様になってます。たぶん笑
チェコビーズのランプは自宅用に作った事がきっかけでオーダーいただく様になって、ランプのみ受注で作っていました。
作品はほぼ「同じものはふたつと出来ない」「一点もの」でした。
現在ネイリストなのですが、色味や作風はかなり落ち着いたものの、「今日作った色は2度と作れない」みたいな部分は変わってないなあと、思います。

画像2
スリッパピカピカ

子供の行事で学校に出向いたときに、校内写真もよく撮っていたから、それも良くサイトに載せてた。
今思うと、サイトを初めて見た人が「あ。この人子供いるんだ」「何か作ってる人なんだ」「写真が好きなんだ」と瞬時にわかる雰囲気だったのではないかと思います。写真のもつ「情報」は、かなり莫大で強い。
ヴィンテージ生地や、ラフなパッチワークが好きな方は、ファイヤーキングやパイレックスにも興味を持ってくださる方も多くて「あの写真の食器はどこで手に入れましたか?」みたいな質問をいただくこともありました。

画像3
オールドパイレックス

上記の様に、私の場合は「ビジネスとプライベート」をあまりわけていませんでした。現在、いろいろ観察してみるとビジネスには色々なパターンの方がいるなあと思うけれど。私は完全に「グラデーション型」でした。

最初の1年半程は、上記の様な販売形態でネットのみの販売。
後半はイベントを主催したり、県外のイベントに声をかけていただいたり
そして、雑誌に取り上げられたりして販売形態が変わっていきます。

次回はその辺の事を書いてみようとおもいます。


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