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【なれとります】#02「発音は大事」

「ハイ、OKです!頂きました!」
元気な監督さんが明るく言った直後のこと。
「いまの、発音…大丈夫ですか?」
ナレーションブースの外、ミキシングを行う部屋の後ろに座っていたクライアントさんが口を開く。
「発音ですか?…ちょっと、プレイバックします〜」
トークバックを押してナレーションブースに声が届く。

『そう!採れたてのワカメは栄養が豊富!』
自分が読み上げた声がヘッドフォン越しに聞こえて来る。監督さんが何やらクライアントさんと話している姿が、ガラス窓越しに見える。
意外とそのガラス越しにどんな会話をしているのか、ブースの内と外で聞こえないことで気がかりになることがある。

「特に問題ないように思いましたが…」
「ワカメです。いまのはワカメと平坦に読まれていましたが、発音的には“ワ”カメとアクセントは頭に強いのが正解かと…」
「え!?そうなんですか?」
慌てて制作さんがネット検索している。
「あ、このサイトには確かにそう書いてあります」
「え、そうなの?」
ナレーションブースには、そのミキシングルームでのやり取りが聞こえて来ない。…何か揉めているようだ。

『すいませ~ん、さっきのキープで、もうひとつください!
あの…ワカメ?ワカメ…平坦ではなく、ワにアクセントが来る、“ワ”カメでお願いします』
なるほど、確かに昔先輩に聞いていた。一般的に馴染みのある発音ではなく、本来の言葉の由来、放送局や日本語学者などが提唱する読み方が存在していて、ナレーション収録時に「発音」は議題にあがる。

『そう!採れたての“ワ”カメは栄養が豊富!』
『ちょっとわざとらしい感じがしたので、もう少しナチュラルにお願い致します』
まあ確かに、極端にやってしまうと変な印象かな。

『そう!採れたての“ワ”カメは栄養が豊富!』
…採れたての「若めのワカメ」は、どうやって発音するのかな…そんな邪念を払いながら、何とかそこをクリアする。

ナレーターをやっていると「言葉の発音」に関して様々な場面に遭遇する。
とある自動車メーカーは「車のボディ」を「車のボデー」と発音するし、とある化粧品会社では、原稿の文字は「メーク」なのに、発音する時は
「メイク」が当たり前だ、と言われたこともあった。

『送料無料でお届け致します!』

ここで再び、ミキシングルームで動きがあったようだ。
『ちょっと確認してます!少々お待ち下さい』 と監督さんのノンキな声が聞こえてくる、その後ろに「本来の発音だと…」という講義にも似た、クライアントさんの声が一瞬聞こえた。

3〜4分の後に
『ハイ、OKで〜す!お疲れ様でした!』 と声がかかる。

「ありがとございました〜」とアナグラのようなブースから出て行く。
「最後の…何か懸念点がありましたか?」
ゆっくりと聞いてみる。後ろに座るクライアントさんが口火を切る。
「無料ってありますでしょ。本来は、有料の反対になるので“無”料と、“無”にアクセントを持って来るのが正しいとされていました…」
「なるほど…随分と発音にお詳しいですね」
「ええ、まあ、いまはいち企業の広報担当者ですが…実は最初に入った会社はテレビ局でして、さらにアナウンス部にも在籍していたこともあり…」
「そうなんですか!?」
思わず声を上げてしまった。
「ただね、発音って時代と共に変わるんですよ、ことわざなどの意味合いが微妙に違うように、世の中での広がり方によって変化することもあるんです」
「良く聞きますよね、“破天荒”は荒くれ者の意味ではなかったり、“役不足”なんて、本当は“こんな役、私にやらせるな!”って意味だったり…」
「ハハ…まあ、この業界には良くある話ですが、そんな前職がありましてね、だからいまだ、映像に関わる仕事を続けているワケですよ」
「我々の大先輩ですね…なるほどだから声が良いんですね!ご自身で録られても良かったのでは?」
監督さんがおべっかとも本気とも取れるトーンで繋げる。
「いやいや、今回は若めの声でメッセージして頂きたかったので…」
「ありがとうございます…あの…せっかくなので…」
ナレーターの先輩にモヤモヤしていた疑問を投げかけた。

「“若めのワカメ”はどのように発音するんですか?」

     「つづく」 作:スエナガ

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