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【線路がつなぐ家族】(2022・秋)

そういえば、息子と二人きりで電車に乗ったことは無かった。
そこには常に妻がいて、大体が息子は妻と話していることが多かった。
息子は今年の春に、幼稚園の年長さんになる。
しかし今こうして、私の手を握りしめている小さな掌は、木の葉のように弱々しく、これからこの手で掴む夢がどんなモノなのか、非常に興味がある。

「この線路をずっと行くと、ママがいるんだよね」
ふいに話し掛けられ、一瞬戸惑う。
「ああ、そうだね。この線路をずっと行くと、ママがいるよ」
「ママ…待っててくれるかな…」

話し掛けている、というよりも、
寂しさを紛らわす独り言のようにも思える。
珍しく見せる、寂しそうな表情だ。
「そりゃあ、待っててくれるさ」

妻は夏の猛暑を避け、すぐに対応ができるようにと、実家に帰り出産の準備をしていた。夏の休みに車に乗って、妻を送り届けた以来の再会だ。

「ねぇ、パパはママのこと好き?」
「もちろんだよ」
「じゃあぼくのことは?」
「もちろん好きだよ」
しばらく静かになる。
「…でもさ、もうすぐぼくの弟か妹ができるんでしょ?」
「そうだね。どっちだろうね」
また静かになる。

「幼稚園でね、サッちゃんが言ってたんだ」
息子の顔を見ながらゆっくり聞いた。
「なんて?」
「サッちゃんは弟が産まれてね、お姉ちゃんになったから…って…もうパパもママも、弟ばっかり好きになっちゃったんだって。サッちゃんはお姉ちゃんだから『がまん』なんだって…」
なるほど、小さいながらに色々なことを考えている。
私は息子に向かい、ひとりの人間として語った。
「それはね、産まれたばかりの命は弱くて、たくさんの愛情を一生懸命に注がないと、大人だって負けちゃうんだ。
それぐらい命って大事なものだし、大切なことなんだよ。
サッちゃんの場合も、サッちゃんが産まれた時はサッちゃんに一生懸命、愛情を注いだし、弟にも同じように愛情を注ぐ…」
息子にはどうにも、回りくどかったようで、
ジッと私の目を見ている。

「ウチだって同じだよ。パパもママも、君のことを愛しているし、産まれてくる新しい命も愛すると思う。君もお兄ちゃんになるワケだ。そうなったら、愛される側ではなく、愛する側にならなくちゃいけないよ」
「愛する側?」
「パパとママだけだと、新しい命に負けちゃうかも知れない。だから君も僕らと一緒に新しい命に愛情を注いで欲しいんだよ」

難しくてわからないという表情になるが、
すぐ吹っ切れたような子供らしい笑顔に変わる。
「う~ん、やっぱわかんないや」
「そっか」
「わかんないけど、ぼくもパパもママも好きだし、産まれてくる兄弟も好きだと思う」
「そうだね」
「それに、パパと二人きりだとちょっと寂しいから、早くママのところに行きたいし、早く会いたい。」
「パパは君と二人でも大丈夫だよ」
「ぼくはヤダよ…やっぱりママも一緒がイイ。
3人が4人に増えるんだから、きっと楽しいと思う…」
「そうだね。」
私が感じた、はじめて二人きりの電車移動という心細さは、
その小さな手にも伝わっていたのだろうか。
「ね、パパ。早く着きたいから、もっと前の方に乗って行こうよ」
息子はそう言って、握りしめた手にギュッと力を込め引っ張る。
「先頭に乗っても着く時間は変わらないよ」
…そんな野暮なことは言わない。
『ウチの親と祝酒を飲むんだから、ぜったい電車で来てね…』
そう電話口で言った妻の優しい声を思い出す。
ハンドルを握りながらの会話より、
こうして息子の手を握っての会話は心が伝わる。

「そうだね。早くママと、新しい家族に会いに行こうね」
新しい何かが動き出しそうな、少しだけ開いた窓から入る秋の空気が頬を撫でる。二人で電車の一番前に乗り、運転手と同じ目線で続くその線路の先を眺めていた。

     「つづく」 作:スエナガ

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