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伝えることの大切さ。本多重次の「日本一短い手紙」【歴史から見る生前整理】

戦国時代、「本多作左衛門重次(ほんださくざえもんしげつぐ)」という徳川家康の重鎮として活躍した武将がいました。
重次は、「鬼作左(おにさくざ)」と呼ばれるほど厳格な性格の持ち主で、自分に対しても他人に対しても厳しく、主君である家康に対しても臆することなくはっきり言う性格でした。

1575年、甲斐(山梨県)の武田家が徳川家の領地である三河(愛知県)の長篠城に攻め込んできたため、それを家康は、長年の同盟者である織田信長との連合軍で迎え撃つこととなりました。
これが史上名高い「長篠の合戦」です。
この徳川家の命運がかかった大合戦に、重次も出陣しました。

その陣中から妻に対して、これだけは是非にと書き送った手紙がありました。
そこに書かれていたのは、

「一筆申 火の用心 於仙痩さすな 馬肥やせ かしく」

という一節のみでした。
この手紙は、「日本一短い手紙」と言われています。
(※「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」とも伝えられています)

戦場からの手紙ということは、遺言の意味合いもあったことと思います。
ちなみに、その手紙の内容は、
・「火の用心」・・・家が火事にならないように用心すること。
・「於仙痩さすな(お仙泣かすな)」・・・生まれてほどない嫡男の仙千代を立派な男児に育ててくれとの願い。
・「馬肥やせ」・・・戦に備えて馬をしっかり養っておくこと。
重次は、当時の戦国武将らしい内容で、伝えたいことを短く簡潔に手紙に書いたのでした。

『生前整理』においても、自分の思いを伝えるために、何かに書いて残しておくことはとても大切なことです。
ただ、思いを残すにしても、「何を書いたらいいのか、うまくまとめられない」ということもあると思います。
そんなときは、本多重次にならって、
まずは短く簡潔に書いてみるのはいかがでしょうか?
それをきっかけに伝えたいことがまとまり、ペンが進むようになるかもしれませんよ。

また、重次には別のエピソードがあります。
ある時、奉行たちが、領民に布告を出しても徹底されないため、どうしたものかと悩んでいました。
そこに重次が現れ、「わしにまかせておけ」と言い、布告をひらがなに書き改めるとともに、最後に次の一文を付け加えました。

「みぎにそむくものは、さくざえもん、しかる」

以来、布告はよく守られたそうです(笑)

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