喜ばうんすVLOG 11【キバのことだま】 ニューヨーク I セラピー I 認知バイアス I 母親 I すり込み I 脅迫 I 介護 I 暴力 I 不安定な家庭環境 I 言語化【ココロ実況】

ニューヨークの温度は上がり夏のような今日は月曜日。

今夜、またセラピストと話す。その前に、前回分の動画について少し書いておく。話づらかったコト、よく言ったと我ながら思っている。

主人が私の言ったことを掘り起こし話す時、「そんなこと言っていない。」と否定していたのは自分だった。それを母との電話のやりとりの最中に、母が私に言っているのを聞いて、『これはマズイ』と思った。

「この会話が録音されていたらよかった。」と何度も彼が言ったことがある。自分の言葉に責任を持つ意味でも記録しはじめた。

以前から自覚症状はあった。でも過去のことを悔やんでいても仕方ないので、これからの対応の仕方を模索している。

プライバシーは守れるかもしれないが、日記に書いていては、日本にいる母には読んでもらえない。そして、時差が出てくるとやがて変わった思いや言葉が伝えられてしまう。でもこうしてYouTubeやnoteにあげておけば、私が居なくなっても、個々に過去を振り返る必要がある場合、きっと便利になる。

父の書いていた手帳のありかを母に聞いたことがある。全て処分してしまっていた母。ある意味、そうやって母の都合で体裁よく変えられていく父の過去がある。そこで、私は自分の歴史を自分の言葉で残しておきたい。

これを公のメディアで話す側のメンタル的にはかなりキツい。でもあえてやっている。もし母がいま動画を観ていたら、聞いている側もかなりキツいだろう。でも母がどう思うかをもう気にしないことにした。何を言われるかを心配などしていたら、自分の気持ちなど言葉にすることはできなくなってしまう。

スパルタな親ではなかったが、「根拠のない型」にはめたがる母だ。今のご時世では既に崩壊している「年功序列」という価値。昭和の恵まれた家庭に育った「高度成長期」が抜けきれていないまま。

本人には普通だったかもしれないが、父や私には母の家族が与えただけの期待をされてきた。何故なら私自身がそれを主人へしてきたコトに気付いたから。結果的に、直接的でなくとも間接的なコントロール・フリーク。

わたしは母の飼い猫ではない。

コレ、他人の話だった場合、簡単に答えを出せていた。人の事を話をしているのは楽だからだ。自分の問題から目を背けられる。やったことがなかったので、あえて、それくらいの距離感を持って自分自身の問題を突き放してみたい。外側から自分の置かれた状況をみつめる習慣をつけたい。でないとまたスグ心理的な「負の連鎖」に引き込まれてしまう。

連日のヨガも脳にたくさんの空気を送り込み、体内に筋肉をつけ、関節がゆるくなり、心身ともにバランスを取る助けをしている。

現在、主人から何かクレームがあった際、即座に行動にして修正を加えている。まるで、母を見ているように「イラッ」と、自分自身の反射神経が反応する瞬間もまだまだある。でもその瞬間の自分さえをもミラーのように映し出す。それを垣間見て、以前とは違う選択を随時、意識して取っている。

柔らかい頭で対応する試みを続けないと変化は生まれず、私も母親のように感情剥き出したままの悲しい人となってしまう。

これはあくまでも他人が知っている母ではなく、私が知っている母のこと。

そんな中で、今晩のセッションで自分が感じている自分自身の不快な部分を更に掘り下げてみる。

48歳から人生の本編スタート。「生きる」記録の断片を書く活動みならず、ポエム、版画、パフォーマンス、ビデオ編集、家政婦業、ねこシッター、モデル、そして新しくDJや巨匠とのコラボ等、トライ&エラーしつつ多動中。応援の方どうぞ宜しくお願いいたします。