木部二郎

中国武術を中心に、中国関係のことに興味があります。暇つぶしにご覧になっていただければ幸…

木部二郎

中国武術を中心に、中国関係のことに興味があります。暇つぶしにご覧になっていただければ幸いです。

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  • 『陳氏太極拳図説』私訳

    勉強も兼ねて『陳氏太極拳図説』を日本語に訳してみました。

  • 日本剣術の伝承に関する個人的見解

    日本の剣術に関する様々な伝承について、個人的見解を垂れ流しています。

最近の記事

陳氏太極拳図説巻首の易学についての個人的解釈

陳鑫『陳氏太極拳図説』巻首で論じられている易学はとても難解であり、かつ武術との関連性がよく分からないため、『陳氏太極拳図説』を読解する上で最初の関門となっています。そのため、多くの読者がここで読むのをやめてしまうか、読み飛ばしてしまうと思います。実際、私も何度も読もうとしてはすぐに閉じてしまいました。 しかし、陳鑫の意図を類推するに、巻首の易学こそ陳鑫が読者に対して最も主張したい部分であると思われ、ここを避けてしまっては太極拳の本質に触れることができないのではないかと思いま

    • 陳氏太極拳図説巻首(10)錯綜の図

      参考錯(旁通):陰●と陽◯の配列がコインの表裏のように互いに相反しているもの。 綜(反対):陰●と陽◯の配列がコインを逆さまにしたように上下反対になっているもの。 六十四卦相錯図八宮尾二卦正錯互綜図天地と水火は正卦であり、互いに錯す。 その尾の二卦はそのため互いに綜す。 天の火地晋 ◯●◯●●● ↔ 水の地火明夷●●●◯●◯ 天の火天大有◯●◯◯◯◯ ↔ 火の天火同人◯◯◯◯●◯ 地の水天需 ●◯●◯◯◯ ↔ 火の天水訟 ◯◯◯●◯● 地の水地比 ●◯●●●● ↔ 水の地

      • 大江匡衡と老子九変説

        日本における老子九変説の受容の時期前回までに、「四十二巻の兵法書」の一つ『兵法霊瑞書』および山王神道の教理書『耀天記』における老子九変説の受容について紹介しました。今回は、日本における老子九変説受容のもう一つの例を紹介します。 日本で老子変化説が受容されたのがいつ頃なのか、今のところその正確な時期は分かりませんが、『兵法霊瑞書』『耀天記』以前の例として、大江匡衡の次の詩の序があります。 この詩の序は匡衡が帝に『老子』を侍読して感じるところがあったので作ったものです。この序

        • 老子九変説の山王神道への影響について

          前回は「四十二巻の兵法書」の一つ『兵法霊瑞書』における老子九変説の受容について紹介しました。その中で、山王神道の教理書である『耀天記』に老子九変説が含まれていることを指摘しました。今回は再び『耀天記』を取り上げ、『耀天記』が老子九変説をどのように受容しているのか紹介します。 山王神道山王神道は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、天台宗比叡山延暦寺で成立した神道の流派です。 日枝山(比叡山)では古代から山岳信仰があったと想定されますが、そうした山岳信仰と神道そして天台宗が融

        陳氏太極拳図説巻首の易学についての個人的解釈

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        • 『陳氏太極拳図説』私訳
          15本
        • 日本剣術の伝承に関する個人的見解
          39本

        記事

          弥助問題に思うこと

          現在sns上で絶賛炎上中の弥助問題ですが、本来私の専門外の分野なので口出しするべきではないのでしょうが、この問題のせいで人文学全体への疑念に飛び火しそうなので、この機会に日本の歴史学界に対して私が感じていたモヤモヤを表明しておこうかなと思いました。 歴史学と物語はどう違うのか歴史学界の人たちの中には歴史を題材とした物語やエンタメを敵視し、それらの物語・エンタメの内容と史実との差異を指摘し避難する方がいますが、果たして歴史学と物語・エンタメはそんなに異なるものなのでしょうか?

          弥助問題に思うこと

          『兵法霊瑞書』「兵法手継」について

          義経の物語にはしばしば中国伝来の四十二巻の兵法書が登場するのですが、実はこの兵法書は実在し、「張良一巻書」「兵法秘術一巻書」「陰符経」「義経虎の巻」等の名称で各地に所蔵されています。 もちろんこの書を読んでも超人的な能力を身につけることは不可能ですが、兵法の秘伝書として戦国武将にも読まれ、中世の日本において一定の認知を得ていました。そうした現実世界での「四十二巻の兵法書」の受容が物語の世界に反映された結果、義経の兵法修行譚が成立しました。 その概要は、有馬成甫・石岡久夫編

          『兵法霊瑞書』「兵法手継」について

          素書の由来について

          義経の物語にはしばしば中国伝来の四十二巻の兵法書が登場するのですが、実はこの兵法書は実在し、「張良一巻書」「兵法秘術一巻書」「陰符経」「義経虎の巻」等の名称で各地に所蔵されています。 もちろんこの書を読んでも超人的な能力を身につけることは不可能ですが、兵法の秘伝書として戦国武将にも読まれ、中世の日本において一定の認知を得ていました。そうした現実世界での「四十二巻の兵法書」の受容が物語の世界に反映された結果、義経の兵法修行譚が成立しました。 その概要は、有馬成甫・石岡久夫編

          素書の由来について

          「張良一巻書」という語の由来について

          義経の物語にはしばしば中国伝来の四十二巻の兵法書が登場するのですが、実はこの兵法書は実在し、「張良一巻書」「兵法秘術一巻書」「陰符経」「義経虎の巻」等の名称で各地に所蔵されています。 もちろんこの書を読んでも超人的な能力を身につけることは不可能ですが、兵法の秘伝書として戦国武将にも読まれ、中世の日本において一定の認知を得ていました。そうした現実世界での「四十二巻の兵法書」の受容が物語の世界に反映された結果、義経の兵法修行譚が成立しました。 その概要は、有馬成甫・石岡久夫編

          「張良一巻書」という語の由来について

          太公望と黄石公の兵法書について

          義経の物語にはしばしば中国伝来の四十二巻の兵法書が登場するのですが、実はこの兵法書は実在し、「張良一巻書」「兵法秘術一巻書」「陰符経」「義経虎の巻」等の名称で各地に所蔵されています。 もちろんこの書を読んでも超人的な能力を身につけることは不可能ですが、兵法の秘伝書として戦国武将にも読まれ、中世の日本において一定の認知を得ていました。そうした現実世界での「四十二巻の兵法書」の受容が物語の世界に反映された結果、義経の兵法修行譚が成立しました。 その概要は、有馬成甫・石岡久夫編

          太公望と黄石公の兵法書について

          日本文学における張良のイメージ

          義経の物語にはしばしば中国伝来の四十二巻の兵法書が登場するのですが、実はこの兵法書は実在し、「張良一巻書」「兵法秘術一巻書」「陰符経」「義経虎の巻」等の名称で各地に所蔵されています。 もちろんこの書を読んでも超人的な能力を身につけることは不可能ですが、兵法の秘伝書として戦国武将にも読まれ、中世の日本において一定の認知を得ていました。そうした現実世界での「四十二巻の兵法書」の受容が物語の世界に反映された結果、義経の兵法修行譚が成立しました。 その概要は、有馬成甫・石岡久夫編

          日本文学における張良のイメージ

          義経と四十二巻の兵法書

          源義経を主人公とする説話には、「義経が中国伝来の兵法を習得」した語るものがあります。 『義経記』巻二「義経鬼一法眼が所へ御出の事」では、義経が鬼一法眼から兵法の秘伝書を盗む説話が語られます。この兵法の秘伝書とは、中国から伝来したものであり、かつて周の武王を助けた太公望や、漢の高祖劉邦の功業を支えた張良・樊噲、そして日本の坂上田村麻呂、平将門、藤原秀郷らが読んだものであり、この兵法書を読むことで超人的な能力を身につけることができるとされています。 幸若舞『未来記』では、中国

          義経と四十二巻の兵法書

          義経の天狗伝説の展開

          義経の天狗伝説剣術流派の開祖伝説の中には、「天狗から兵法を習う」という伝承がしばしば見られます。「天狗から兵法を習う」という伝説で最も有名なのは義経の天狗伝説でしょう。 林羅山の『本朝神社考』巻六「僧正谷」には、江戸時代初期に存在した義経の天狗伝説を次のように紹介しています。 歴史資料における義経 源義経の生涯については、鎌倉幕府の公的記録である『吾妻鏡』が最も正確と考えられます。『吾妻鏡』で義経が最初に登場するのは、治承四年十月二十一日の条、二十二歳の義経が黄瀬川の陣屋

          義経の天狗伝説の展開

          鞍馬天狗伝説と魔仏一如思想

          近世以前の日本には、「剣術流派の開祖が天狗から兵法(剣術)を習った」という伝承が複数ありました。しかし、そうした伝承は江戸時代の知識人によって嫌悪され、それらの伝承が捏造であることを証明しようとする言説がしばしばありました。そうした江戸時代知識人の意見が本当に妥当なものなのかを確かめるために、義経の天狗伝説を中心に取り上げ、天狗伝説の生成と拡大の過程を検討したいと思います。 義経にまつわる伝説が広まった経緯については、古典文学研究の世界で成果が積み重ねられています。そこで、

          鞍馬天狗伝説と魔仏一如思想

          『異本義経記』

          近世以前の日本には、「剣術流派の開祖が天狗から兵法(剣術)を習った」という伝承が複数ありました。しかし、そうした伝承は江戸時代の知識人によって嫌悪され、それらの伝承が捏造であることを証明しようとする言説がしばしばありました。そうした江戸時代知識人の意見が本当に妥当なものなのかを確かめるために、義経の天狗伝説を中心に取り上げ、天狗伝説の生成と拡大の過程を検討したいと思います。 義経にまつわる伝説が広まった経緯については、古典文学研究の世界で成果が積み重ねられています。そこで、

          『異本義経記』

          天狗はいつから鳶になったのか

          現在天狗のイメージとしては、赤い顔で鼻が長く、山伏姿で高下駄を履き、手には団扇を持つ姿が定着しています。他に烏天狗と呼ばれる鷲鼻で羽を持つ姿も知られています。 しかし、もともと「天狗」という語は中国の古典に由来するものであり、中国では流星または彗星の尾の流れる様子が「天狗」と呼ばれました。 『山海経』「西山経」章莪山の条には、 とあり、また『史記』「天官書第五」には とあり、天狗は形状が大きな流星のようで音を発して飛び、地上に降り立ったときは狗に似て炎を発し、その炎は

          天狗はいつから鳶になったのか

          能『鞍馬天狗』

          近世以前の日本には、「剣術流派の開祖が天狗から兵法(剣術)を習った」という伝承が複数ありました。しかし、そうした伝承は江戸時代の知識人によって嫌悪され、それらの伝承が捏造であることを証明しようとする言説がしばしばありました。そうした江戸時代知識人の意見が本当に妥当なものなのかを確かめるために、義経の天狗伝説を中心に取り上げ、天狗伝説の生成と拡大の過程を検討したいと思います。 義経にまつわる伝説が広まった経緯については、古典文学研究の世界で成果が積み重ねられています。そこで、

          能『鞍馬天狗』