#12 学校教育をコンテンツ化していきたい |休職エッセイ

“コンテンツになりうるかどうかは「感情が生まれるかどうか」が分岐点。”

休職中の教師が、この記事から考えた学校教育のこと

突然の引用。
年始早々、あまりにも自分に刺さる記事だったので、今日は竹村さんの記事から考えたことを綴っていきます。まずは竹村さんの記事をぜひご覧ください。

今日の結論は、私は教育活動そのものをコンテンツにしていくことに興味があるんだ、と気づいたと言う話です。

この記事の内容に惹かれた理由は3つあります。

▶︎「コンテンツになりうるものは感情が生まれるかどうか」

この定義に私は、深い納得感を覚えました。

確かに、私が休職中に特に救われたものたちは、全て「感情」を揺さぶってくるものだったからです。

ゲーム、実況、小説、自己啓発本、アニメ、youtube動画、ラジオ、お笑い…

ありがとうカルチャー、ありがとコンテンツ、なんてなんとなく思っていたものたちは、この定義で言えばそのままコンテンツ化に成功したものたちなのですね。

もう一つ、この定義の表現と、私が「好きなこと」で分析した言葉がマッチしたのも、記事に惹かれた理由です。
私が休職直後やってみた自己分析で出した仕事のキャッチフレーズは、

「さまざまな感動体験をしながら、生き方を磨いていく方法を教えていくこと」

でした。まさしく、この記事のコンテンツ化とつながる内容です。

▶︎「言葉によるUI/UX戦略」を、無意識でやろうとしていた私

竹村さんの記事の「言葉によるUI/UX」とは随分言い得て妙だ、と感心しっぱなしです。と同時に、私が教師として意識していることと同じだと気がつきました。

書いてあることをそのまま伝え直すのではなく、また自分が伝えたいと思っていることをそのまま伝えるのではなく、中学生がわかる例え話に直したり、わかりやすい図解をつけたりするのは、まさにこのことなのではないでしょうか。

教師生活の中で無意識的に実感していた、中学生の読取力の低さは、きっとこういう社会の変化が関係しています。まさにこの記事で言われている通り、「指先一つでみるかみないかを判断できる環境」に置かれていればそうなること請け合い。

そこで考えられる「必要な教育のあり方」は2つあるのではないでしょうか。
一つは、この社会の子供たちに合った形でコンテンツを与えながら、スモールステップで育てようとするパターン。
もう一つは、むしろコンテンツ化されていないものでも文脈を読み取ろうとする力、忍耐の部分を育てなければならないというパターンです。

私が教職中に出した答えは、「生徒に見向きもされないなら、どんなに工夫しても効果がゼロ」という立場、つまり前者でした。だから、授業で使うスライドは中学生に合わせたデザインを意識し、「クイズ」と表現した問いを作る仕掛けを意識したのです。

▶︎ここでいう編集者の仕事が、教師に繋がることだった

「読者が読みたいもの」と「書き手が伝えたいこと」を同時に満たし、コンテンツとして成立させる。

これが編集者の仕事だと竹村さんは言います。

実はこれ、学校という職場にも求められる視座であるように感じるのです。

「生徒がやってみたい・面白そう・もう少し学んでみようかなというもの」と「生徒は知らないけど、教師が伝えたいこと」を同時に満たす、コンテンツ作り。
これが、今の学校現場に確実に必要な気がしています。

コンテンツ化できる取り組みはいくつもあるんです。

学校生活の中心を占めている授業。
行事。部活。学級内での生活。

その全てに、感情を生み出すタネが隠れていると確信しています。
自分自身が学生の時、どの時間にもそれが存在していると感じていたから。
そして、学校ではたらくことに希望を感じていたのですから。

ただ、問題があります。それは、これらをコンテンツ化していくには、現場の教師が圧倒的に時間の余裕を持っていないこと。より正確に言うと、教師と生徒を俯瞰しながら動ける「第三者的な人材」の数が足りないことです。

これまでの私は、コンテンツ化をし続けながらそれを生徒に取り組んでもらい、それの改善点を修正しつつ、そのコンテンツの不満を最前線で聞き取り、ボロボロになりながらコンテンツを直し、その間にも生徒の様子を見て・・・という仕事をしていました。生徒の様子をよくみることも、変化や成長を敏感に感じとることもテキトーにはしたくなかったですし、それも教師の仕事だと思うからです。

私、もしかして、そのコンテンツ化専門の仕事がしたいのかもしれない。

プレイヤーとして最前線で実行することの楽しさよりも、できていない苦しさが優っていました。でもコンテンツ化している瞬間は、ワクワクしてもっとこういたいが溢れていたのです。うまくいかなかったら、もっと修正したいのに、でもその時間的余裕がない、妥協点を探す仕事になっている、ってモヤモヤしていた。

私、教育現場においての「編集者」になりたいのかもしれない。

それは教頭などの管理職ともちょっと違う気がする。一緒になって教育のコンテンツを生み出し続ける存在。

じゃあ、ベネッセとかに勤務するとかで良いのでは?となるかもしれないけど、そうすると学校現場から遠ざかってしまう。やっぱり人の心が動いた瞬間やそれを目の当たりにした熱い言葉は直で感じたいじゃない。

そういう分掌とかがあって、重視している学校を探してみると良いのでしょうか?

・・・とはいえ、まだまだ休職中の身。理想、ビジョンだけをみて足元の段差に気づかず転ぶのが私の癖です。焦らず、そのままの自分の感情を味わうこと。

まずはそれを信条に、今年はやっていきたいです。

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ここまで記事を読んでくださった方、ありがとうございました😊
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