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なながつの真ん中

書き途中だったり書いても公開しなかった日記が下書きにたくさんあって、そのひとつを再利用して7月の日記を書いた。7月を「しちがつ」と読むか「なながつ」と読むか。これはただの好みなんだけど、今回は、なながつの方がしっくりくる気がしたからそうした。そんなかんじの夏日記です。

月曜日(晴)

無性にスイカを食べたくなって、買った。1/8だか1/6だかで、500円だった。高いと思ったけど、もっと安く売っているスーパーまで歩くには暑すぎて(時間をお金で買うのだと言い聞かせながら)それを買った。三角に切り分けて、タッパーにつめる。一切れ食べたら熟しきったような甘い汁が口の中に広がって、このスイカはあと2日も持たないだろうと思った。今が美味しさのピークだ。早く食べ切らねば。わたしは今夏の真ん中にいる。

火曜日(雨のち曇り)

さくらももこのエッセイを読む。近くの古本屋に行ったら、「うちには置いていないがすばらしいエッセイであり、ぜったいに読むべきだ」と言われた。本は手に入らなかったのに、読みたい気持ちを肯定されたことで気分が良くなってしまった。
本は結局ブックオフで手に入れた。すばらしさのひとつは、気軽さだ。どんな気分のときでもスルッと読める軽妙な文章。この力の抜けた文章はなかなか書けるもんじゃないよな、と思う。

水曜日(晴れのち雨)

友人と飲み。前々から気になっていた店に足を運ぶ。食べたことない料理ばかりでいちいち感動してしまい、食事というかエンタメだった。

全てが美味しかったのだか、友人が不調を訴えたので1時間くらいでさっと帰宅した。わたし自身は元気だったが、連日の暑さにばてている感じはやっぱりあって、予定より早めに帰れることになんだかほっとしてしまった。
もう最近は会う人会う人みんな疲れているように見える。特に中年以降でフィールドワークのみなさんが、目に見えて疲弊している感じがある。ご自愛くださいとしか言えないが、あえて何も言わずこちらもテンションを控えめにして応対している。らくにしていて欲しい。

木曜日(晴れのち雨)

仕事。帰りがけにスコールみたいな強い雨が始まって、なんでーと文句を言いながら駅まで走った。文句を言いつつ小学生みたいでなんだか楽しくなってしまい、一緒にいた人と笑顔で手を振って別れた。

金曜日(晴れのち雲)

横浜の関内にあるユーラシア文化館へ。ずっと読みたい本があったのだが、前編を読み終わったところで改修工事が始まり休館になったため、一年待ち満を持して後半を読みに行った。他に読む手段は当然あるのだが、この場所で読みたかった。

で、読んだのがこちら。マルジャン•サトラピのペルセポリス。本というかマンガですね。イランで生まれ育った女性の9歳から25歳までの自伝エッセイ漫画。10歳の時にイラン革命が起きて、それまでの世俗的な生活から一転、イスラムの厳しい戒律(の革命者たちによる解釈)に則った生活を強いられるところから始まります。

独裁とか、支配の恐ろしさを市井の人々の生活を通して書かれている。シンプルな絵柄と淡々としたストーリーなんだけど、読んでいる間ずっとどきどきしていた。

まずは恐怖で行動と選択が奪われて、そしてだんだん思考が奪われていく。例えばヴェールの長さや形や見た目への監視に気を取られていたら、正しさや人権や政治的主張について考える余裕はなくなっていく。

自分の頭で考え続けることの重要さと難しさとか。自由と尊厳の重さとか。そのようなことを読後ずっと考えてしまっている。考えられるということが既に恵まれているのかもしれない。

土曜日(曇時々雨)

親族の家にいきネコをなでる。親族が不在のため代わりに機嫌をうかがいにきたのだが、留守番をさせられてむくれていた。とても人懐こくて甘えん坊。かまっての圧が強い。子供のころから人間に育てられたこのネコは人間の子供のようにわがままだが、かわいさでその全てをチャラにしている。


日曜日(晴)

法事。山が青い。空も青い。雲は白い。お坊さんがお経をあげているかたわらでセミの鳴き声が聞こえて、それはまるでドラマの演出みたいで、概念の夏のなかにいる、と思った。
家族が全員そろうのは15年ぶりで、そしてこれが最後かもしれない。かつて同じ家に住んで同じごはん食べて同じシャンプーを使っていた人たちは、独立した個人になって、それぞれ好きなものを食べて生活している。
それぞれがちがう価値観で生きているから、過去や未来の話をすると当然主張に乖離があり、我々はただ同じ家に生まれただけのちがう人間なのだということを思い知らされて、ちょっとさみしくなる。


最後まで読んでくれてありがとうございます。


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