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『文字』に囚われた男(戯曲)

古い日本家屋。玄関から居間まで続くゴミ回廊を、男は何かを呟きながら右往左往している。
ああでもない、こうでもない。
あれも違う、これも違う。
まるで狂ってしまったかの様なその素振りは、以前女誑しで知られた『軟派者』の影を潜めるに至り、周囲の塵や埃はそんな彼を何処か未知の世界へと誘うのである。

暗転後、男は何かにビックリしたかの様な反応を客席へ見せる。落ち着いた後、舞台の右から左を練り歩きながら、早い口調で喋りだす。


(軟派者)

諸君!良い所に参って来たもんだ。実に良い。
『狙った獲物は逃がさない、新宿・渋谷を股にかけ、今日も連れ込む下宿先』
その触れ込みで歓楽街の帝王の異名を取るも、もうついぞ聞かない話となってしまったな。
遊びの女は気心知れず、本気の女はまるで風。

–– 風だ。

愛想を尽かし逃げていく者、他に男を作る者。まさに数々の女が自分の元を去って行ったが、その度に俺は疲弊し、傷付き、持つ心はまさに切れ切れ。その断片のみを拾い集めるのにも、もう懲り懲りだ。
と、そんな時、ある友人から良い事を聞いた。
いつも下らん事を抜かす奴なもんで、その口から出る言葉に誠を感じた事はなかったのだが...確かに、下らん事を抜かすのは、俺も同じだ。

君等は知っているか?
世界各国に存在する『文字』は、その姿形こそ違えど、余程の時が経たぬ限りはその見た目を変えない。俺様はこの数年で急激に老けたと、自ら鏡を見た時に驚いてしまうほどだが、文字に限ってはそれが無いのだ。
素敵な『文字』は、妖精の如く視界の隅から隅を飛び回り、まるで此方においでおいでをするうら若い娘の様である。


あぁ!噂をすれば、だ。彼女が帰って来た。
君等は静かにしておいてくれよ。黙って客人を上げると、後が煩いんだ。
......いやぁなんでもない!なんでもないんだ。気にしないでくれ。
帰って来るのが思ったより早くて驚いたんだ。
『のの恵』、風呂にするかい?それとも御飯?必要ないか、そりゃあそうだな。
今日も曲線が綺麗だね。
え?どんな文字にも言っているんだろうって?
まさか、そんな訳ないだろう。
君の友人『つつ乃』が持つ曲線は、ここまで褒める物ではないし、元カノである『なな子』は、見た目こそ美しいモノの......うーむ、これに限っては、TVで見る菜々子の方に目を奪われていたからな。

もうすぐ知り合いが訪ねて来るのかい。
どんな文字なんだ、それは。『A子』だと?
この家にパンや洋菓子なんて気の利いた物は無いし、そもそもそのは日本語が喋れるのか?意思疎通が出来れば問題ないのだが。
今、目の前に座っているのが『A子』だって?
いやぁ、これは失礼致しました。
のの恵がいつもお世話になっている様で。
......アイ キャント スピーク、なに?
参ったな。英語なんてさっぱり分からん。
取り敢えず、珈琲でも出しておけば良いか。
それを飲み終わったら、遊びに行っておいで。
俺は一人でゆっくりしておくから、うん。

よし、二人して出て行ったぞ。
まさか英文字の友達がいるとはな。
のの恵も悪い遊びを覚えなければ良いが。
まぁ文字に限ってそれはない。そう思うだろ?そういえば、あと一人誰か来ると言ってたな。
直ぐに来る様であれば、二人は丸の内の繁華街にショッピングへ行ったと伝えてやるか。
しかし、あの『A子』という娘。曲線こそ無いものの、どうだあの左右対称の綺麗な身体は。そしてあの脚の長さ、やはり海の向こうの血がそうさせるのだろうか。
いやぁ、良い文字を見せて貰ったな。

(※Ⅰ)インターホンが鳴る

その友人とやらが来たようだ。
綺麗な娘なら、家に上げてしまうのも手だな。
服にシワなし、目に目ヤニなし。良いだろう、その尊顔をいざ拝見!

––なんだコレは。
『مياميا美』......?
なるほど、悪くない。どうぞお上がんなさい。


-終演-

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