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未来世紀の子供たち

「知っての通り、航空車が普及した今となっては、航空法の改正により様々な物が規制されています。例えば、打ち上げ花火......」
 ──花火? 

 大人はいつだって、自らが知り得た物をさも創造主の様に語るのだ。僕等の世界は、どこまで行ったとしても彼等の延長であり、そんな生に取り憑かれている我々は、果たしてどこまで足を伸ばせるというのだろうか。


 人類が地を離れて二十五年が経過した。配食の普及により、我々は生活水準を向上させているとはいうものの、過去を知らされもしない僕には理解出来るはずもない話だ。
 新暦八年に生を受けた僕、大人たちが呼んだ俗称は「空人類」という低俗なもの。何も好き好んで高度生活圏に生まれてきた訳ではない。学校の授業は退屈だし、体育の授業は太陽熱にやられてしまうし、給食だって味気ないものばかりである。
「うちの親父がさ、四国で食べた鰻が最高だったと言うんだよ」
 昼休憩、友人がつまらなそうに声をあげる。ゼリー状の配食をストローで吸いながら、さも知っているかの様な口振りで話を続ける。
「タレと香辛料の味が効いててな、口に入れると溶けてしまうほど柔らかいんだと」
「お前が吸う配食と、どちらが柔らかいんだ」
「さぁ......。そりゃ、分からないなぁ」

 僕は、教育ビデオで見る痩せ細った生物を思い浮かべた。独特の色を持ち、生気のない目、捕獲された彼等は最初こそ抵抗に身体をよじらせるものの、数秒で果ててしまう。
「あんな気持ち悪いもの、食べたくもない」
 そう言い捨てた僕は、鞄に潜ませた鍵の感触をたしかめて、密かに微笑んだ。陽の光がその鍵に煌びやかな光沢を生んだとき、ふいに僕は夏の訪れを知った。ただ特徴のない世界に区分された、季節の名残を感じたのだった。


「旧文学において、四季の習わしというものは非常に重要な意味を持つこととなります。例えば、蝉時雨という旧語。夏期の生物である蝉に掛けた季語であり、煩いほどに鳴き叫ぶ蝉たちの生態系を表した言葉でもあります」
 講師は、数枚の写真をボードに貼り付けた。映っているのは、見事な羽を持っているにもかかわらず、奇妙な身体をした生物だった。生徒は一斉に悲鳴を上げ、未知の文明について更なる恐怖を覚える。
「気持ち悪い! 先生、昔はこんなものが周りに飛んでたんですか」
「そうです。庭の木に止まる蝉は、夏を精一杯生き抜いて、冬を待たずにして死んでしまう。だからこそ、煩いまでに鳴くのです。自分たちがこの世界に生きた証を残すためにね」
 ──写真のそれは、たしかに自らが生きる証として、大きく羽を広げている気がした。だが未知の生物がどれだけ立派に羽を羽ばたいたとしても、地表の穢れから逃れる事は出来なかったのだ。彼等は必死にもがき、遥か空への希望を想いながらも、辿り着くすべもなく消えてしまったのだ。だからこそ、僕等は蝉の鳴き叫ぶ声を聴いた事がない。


 一般航空車免許は、十六の歳から応募する事が可能である。しかし、圧力計に高度調整などの専門知識を持ち合わせない者は、一次試験の突破すら困難であり、そもそも高額な応募料の兼ね合いから、学生の間に免許を取ろうとする輩はまずいないと言ってもよい。だからこそ、僕が懐に隠し持った航空車免許が映えるのだ。鞄の中を無造作に踊る銀色の鍵が生きるのだ。
「誰が免許持ってるの? わたし、一度でいいから富士の火口を覗きに行きたいんだよねぇ」
 同級の女子が声を上げた。わざわざ立ち入り禁止の場所に連れて行く気は、さらさらない。だが、若き自尊心はそんな言葉で簡単に湧き上がるものだ。ホームルーム後、講師に免許を取り上げられてしまったのは、そんな油断が関係していたに違いない。
「近隣より苦情が入ってるんだ。お前のような若者が、やたらに車を動かすものではないよ」
「父は元航空技師で、母はその乗組員でした。僕が適性試験に合格するのも、訳ない話です。老いも若いも、関係ないでしょう」
「......地表に希望を抱くのはやめなさい。君が免許を取ったのは、穢れた地に対する憧れからではないのかね」
 ──旧人類に言われたくはないさ。恵まれた大地に生まれ、僕等が知らない知識を憐れむ顔で口に出す貴方には、言われたくはないのだ。偉そうに今を語る、大人だけには。


 アナウンサーの声が、目をつむる僕の鼓膜を静かに刺激する。夏にしては雲の位置が低いらしく、近頃厚さを増す積乱雲が酷い視界不良を起こしているとのことだった。モニターの彼は空路二号線 及び 首都空路網の一部規制を伝えると、横から手渡された書面にわざとらしく驚いて見せ、声を高らかに上げた。
「国民の皆様、またしても派遣軍本営より吉報が届いております」
 満面の笑みを浮かべるキャスター。BGMは物々しい雰囲気から、より作為的な賛歌へと変化し、映像は地表にて活動をおこなう派遣軍達の汗に塗れた表情を映し出した。
「この度、旧信濃地区の北部において、新たな水脈を発見致しました。水質調査の結果から申しますと、地表汚染の進行は少なく人体に影響はなし。その豊かな水源は、熱海水脈と同等かそれ以上の......」
 万歳、万歳、派遣軍さま万々歳。いつだって彼等は我々の生活を守り、モニターに映るその疲労に苛まれた表情は、空の護人であるとともに地の番人だった。その様に讃えるのが国民の義務であり、常識だった。
「あんた、いつまで寝とるの。今日は補修授業やろうに。早く昼飯食べて学校いかんか!」
 午前勤から戻った母が、いまだ寝転がる僕の姿を見て叫んだ。
「今日だけじゃない。僕の夏休みは補修授業で終わってしまうよ」
「誰が悪いんじゃ、誰が」

「......母さん、派遣軍がまた水脈を見つけた」
「ええ話やないの。ありがたいことやないの。あんたが妬む必要なんか何もないわ」
「妬んでなんかいない。ただ──」
「あぁ、うるさい! 早く準備せんか」

 僕の瞳は、いまだに輝きを知らない。


 グラウンドの隅で、友人が何かを囲んで話し合っていた。校門からゆっくりと近づく僕に気が付いた彼等は、こちらに大きく手を振った。
「たった一人の補修授業者がおでましだ」
「それにしては、遅刻して来てるじゃないか」
 皆が騒ぎ立てる中心を見てみると、そこには黒ずんだ円形の物が転がっている。馴染みのないものだ。幼い悪戯心が芽生えた僕は、それを蹴ろうと思い切り右足を引いた。
 ──やめろォ!
 友人の一人が僕の背に飛び付き、我々の身体は傍の花壇まで弾き飛ばされる。二人が戯れ合っていると思ったのだろうか、周りは笑みをこぼしながらこちらへ駆け寄ってきて、傷だらけの僕等を大いに煽るのである。
「あれはなァ、父ちゃんが軍営倉庫から持ってきた火薬玉や! 蹴ったら皆吹き飛ぶぞ」
「だからって、後ろから飛び付かなくてもいいだろう! 偽善派遣軍の親父殿なんか知らん」

 横に倒れていた友人は、僕の言葉に身を起こし、激情した様子で拳を空へ上げた。が、すぐにそれを収めると、軽蔑の眼差しでこちらに溜息を吐いたのだった。
「お前のために持ってきた火薬や。ずーっと、免許取られた講師に一泡吹かせたいって言っとっただろうが」
 立ち上がった僕は、服に付いた砂を払い除け黙って校舎の方に歩いてゆく。背後から声は、もう聞こえなかった。


「公営住宅です。降りる際は航空車がしっかりと着地してからお願い致します」
 バスの運転手が濁った声で呟く。乗組口からわずかに離れたアスファルトに飛び降りる僕は友人への第一声を、いまだに決めかねていた。夏の日差しは緩まることなく高度都市を照り付けていたし、あまりに幼稚な心情で言い争いをした友人へ対する謝罪の言葉など、この熱せられた頭から湧き出てくるはずもなかった。
 十分ほどドアの前に立ち尽くした後に、僕はインターフォンを押す......。
「入れよ。皆、集まってるんだ」
 数日前に花壇で転がりあった友人は、何食わぬ顔で家の中へと手招きする。連れられるままに歩いた部屋の中、棚に飾り付けられた派遣軍による勲章の数々が、前を歩く少年の背中をのっぺりと伸ばした。背負うべき父の誇りがそうさせるのだろう。
「あとは、大筒だけや。派遣軍の緊急信号を打ち上げる鉄筒があれば、簡単なんやけどな」
 またしても火薬玉を囲い、友人一同が難しい表情を浮かべていた。
「お前ら、一体何をしでかすつもりなんだ」
「花火や! 規制されとる打ち上げ花火を校庭で飛ばしてみい。どれだけ偉そうな教師たちも困り果てるやろうで」

 ──花火?
「お前の免許を没収した奴に、パーっと驚いてもらおうやないか」
 花火。前に授業で見たそれは、空を舞う色彩の輝きだった。ただの火薬の塊ではなかった。
「そんなもの、誰が作れる? 仮に作れたとしても、皆ただじゃ済まされないよ」
「派遣軍の息子に、不可能はないわい。小型の発煙筒から火薬を抜いてな、赤一色に舞う花火を拵えたんや」
「何のためにそんなこと......」
「お前のためや。航空技師の息子が航空車の免許を取られたなら、派遣軍の息子として火薬を飛ばしたろうやないかと、そう思ったんや」

 彼の瞳は、いや仲間たちの瞳は、窓より差し込む強い日の光を反射して、さも輝いている様に見えた。違う、僕のためなどではない。皆、空人類などと呼ばれ、軽んじられた十代のためにその腰を上げようとしているのだ。
「大型航空機が備え付ける緊急信号の鉄筒でも代用は出来るだろうね」
 ふいに僕の口が開いた。たしかに、父の倉庫には煤汚れた鉄筒があったはずだ。友人は目を輝かせながら、カレンダーの枠隅を指差した。八月三十一日、それが僕等の答えだった。


 その日は補修授業のため、遅くまで教室に残っていた。ただ一人で補修を受けるのは、免許を取り上げられた僕だった。
 気に食わない教師の顔を睨みながらも、虚しく幼い心を恥じて、表情をしかめる十代の夏。目前の彼は、うろうろと教壇の周りを歩いては窓からの日差しに気を取られて、グラウンドで準備を進める友人の姿には気がつかない様子。課題を解く僕は気が気ではなかった。
「君は、私が嫌いなんだね」
「はい、嫌いです」

 ふいに口をついた言葉。幼稚な反抗。
「ならば、学校など辞めちまったほうが良い。嫌な環境で生きていくなど、無駄な事だろう」
 僕は黙っていた。彼に対しての怒りは何故か生まれなかった。我々の様な子供に何の責任もなく、何の力もなかった。地表から離れて偉ぶる大人たちもまた、何の力もないはずだった。数十年で築かれた彼等の未来世紀にとっては、派遣軍を除く誰もが被害者に違いなかった。
「おぉい! 準備が出来たぞォ」
 友人が大きな声で合図を出すと、僕は鞄を肩に下げて教室を後にする......が、ドアの前で急に足が止まってしまった。まるで大人の講釈を求めているかのように。
「そのまま帰っても構わん。君が困るだけだ」
「先生、僕は学校を辞める気はない。どれだけ貴方が嫌いでも、僕はこの世界で生きなければならないのですから」

 思い上がりだ。自らの言葉に、そう思った。階段を駆け降りるなかで、僕は湧き上がる心に向かって問いかける。この様な世界が、どんな変化を見せるのだろう。誰が我々の未来世紀を作るのだろう。「空人類」と呼ばれ、僕は自分の名前すらも忘れていたのだった。自分の信念すらも、忘れていたのだった。

「いくぞォ、みんな伏せろ!」
 グラウンドで友人が高らかに叫んだ。煤汚れた鉄筒が破裂したと思った瞬間、薄暗くなった空に閃光の一閃を描いた。
 美しい閃光。そうか、これはいつの日にか、モニターで見た花火だ。無限にも思える色彩をともない、宙を駆ける花火だ。命が弾ける瞬間それは世界を光の中に閉じ込めてしまうのだ。距離は約百十六メートル、未来を見上げる位置にて叫んだあれは、確かに四方に散乱した光の粒だ。これこそ、花火なのだ──。
「わぁ、ざまぁみろ。偉ぶりやがって!」
 僕は、宙に舞う光を浴びながら、校舎にむかってそう叫んだ。しかしながら、僕が歓喜したのはやはり、十代の手で打ち上げた不安、無垢な心、そして輝かしい未来への期待に対してなのではないかと思う。
「お前の父さんは、きっと立派な軍人だろう」
 鼻に煤を付けた友人に、僕は言った。
「あぁ、アキオ。俺の父ちゃんは立派や」
 逃げることも忘れて、我々はただ白煙の漂う空を眺めていた。ただ立ち尽くしていた。

 ──そうだ。ぼくの名は、明雄。「空人類」ではない。そして夢がある。いつの世も侵されることのない、美しき夢があるんだ......。

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