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鎌倉殿が、不在のかまくら

 名も知らぬ誰かと居を共にするのは難しいと思うが、たとえそれが旧知の仲であったとしても、さほどその苦しみは変わらないだろう。

 約四年間の東京生活を終え、次に選んだのは鎌倉の地。理由は人に言えるようなものではないけれど、今年の大河ドラマでその舞台がここ鎌倉であったということも大きな要因である。南下すれば海が、北を見れば山が、観光客の隙間を縫って歩かなければならないことを別とすれば、とくに趣味がない僕にとっての良い散歩道になってくれるのは間違いない。
 しかしながら、僕はまた調子に乗って大きな間違いを犯してしまったらしい。
 この恵まれた環境にあって、給料の割には高い家賃となる僕の城。さながら御所にて政務を行う執権・北条義時になりきったつもりでキーボードを叩く僕ではあるが、同室におわす三浦義村の存在がどうにも気になって、なにをするのも気が散るのである。

 ──三浦殿を鎌倉に呼び寄せた背景としては以下のようなものだ。
 二人で居を共にする(所謂ルームシェア)ことによって、家賃は半分。休日の過ごし方も、アイデアを出し合ってより充実したものとなるのは目に見えている。また信頼がおける友人の一人であり、僕の駄文業においても良い影響を与えてくれるのではないか、そう考えていた。
 征夷大将軍が不在の鎌倉にて、我々の幕府は記念すべき二日目を迎えた。早くも、幕府崩壊を期待する僕がいた。

・同居をすることによって、家賃は半分。
 →たしかに、家賃は半分となった。しかし、他人が(友人とはいえ)目線の隅に入り込むことにより、生活によるストレスは五倍となる。
・休日の質を向上させる。
 →色々と思考をめぐらせたが、よく考えれば平日を前にして既に嫌気が差しているこの状況に、もはや向上させる質など存在しない。
・信頼がおける友人の一人
 →関係ないことが分かった。唯一の喜ばしい点としては、三浦殿の体躯はそう大きいものではなく、視界に映るその面積が少ないことだ。

 ……とはいえ、こちらが呼び寄せておきながら「さぁ、もう気が済んだろう? 故郷が恋しくなったろう?」などと言って追い立ててしまっては、流石に罰が当たるというものだろう。やはり武士たるもの自らの言葉、そして行動には責任をもたねばなるまい。
 ということで、我々が再び膝を突き合わせるために必要なこと──そう、同じ空間に住まう仲間として互いを尊重し、互いを理解しあうため、本日より「交換日記」を始めようと思う。

 世には様々な形態の日記がある。単なる記録としての日記が存在すれば、相手のことを理解するための日記もある。勿論、三十をひかえたむさ苦しい男たちの「交換日記」というのも、どこか遠い次元には存在しているものと思う。いや、そう思いたい。
 しかし、これが一つの部屋の中だけで完結してしまうような物だとしたら、僕は、友人は、あとで日記を見返す気にもなれないだろうし、なんにせよ奇妙な背徳感がある。恐ろしい世界へと足を進めているのではないか、と。

 この記録がnoteという媒体を通して、我々の生活をより良いものへと導いてくれること。
 ただそれだけを願い、僕はいまキーボードから手を離そうとしている。少しの期待と、大いなる後悔を胸に浮かべながら……。

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