【えいごコラム(BN53)】砂丘でピクニック
この前は、『アンの青春』で作家のモーガン夫人がグリーン・ゲイブルズを訪れることになった場面を取りあげました。
今回もそれに関連した話です。
このとき、グリーン・ゲイブルズにはデイビーとドーラという6歳の双子の兄妹が引き取られています。
夫人の訪問の前日、アンは、いたずらっ子のデイビーに明日はいい子にしているよう言い聞かせ、そしたら次の日ピクニックにつれてってあげる、と約束します。
今回は、このアンとデイビーのやりとりがどう日本語に訳されているかを、複数の邦訳を比較しつつ見ていこうと思います。
比較するのは最初の邦訳である村岡訳と、近年「完訳」として出た松本訳および掛川訳です。
デイビーの英語の誤りには目をつぶってください・・・。
この「池」は、アンが「輝く湖水」と呼ぶバーリー池のことです。
まず原文を見てみましょう。
bottom は湾や水路などの「奥、行き止まり」のことです。
right は「まさに」で、アンは「池のいちばん奥までボートを漕いであげる」と言っています。
“go ashore on ~” は「~に上陸する」で、 sandhill は砂丘や砂山のことです。
また “have a picnic” は「(屋外で)弁当を食べる」という意味です。
つまりアンは、池の向こう岸にある砂山に上陸してそこでお弁当を食べよう、と提案しているのです。
このように、アンが提案しているのはバーリー池とその周辺でのピクニックです。
デイビーのセリフにある shore も池の岸だと考えられます。
ではなぜ、松本訳と掛川訳には、村岡訳にない「海岸」という語が出てくるのでしょうか。
バーリー池のモデルとなったのは、モンゴメリーの親戚、キャンベル家が住んでいた家の近くにある「キャンベル池」だと言われています。
ここは彼女が祖父母と暮らしていた家から西へ20キロほど行ったところですが、モンゴメリーは子どものころからしばしばキャンベル家を訪れており、いとこたちと池で遊ぶこともあったようです。
キャンベル家の住まいは海岸から1キロほどのところにあって、キャンベル池はそこから海へ向かって細長く伸びています。
池の反対端はほとんど海岸に達しており、そこに大きな砂丘があります。
したがって、キャンベル池の地形をあてはめるなら、池の向こう端までボートで行って上陸することは、すなわち海岸の砂丘に上陸することなのです。
グーグル・マップのURLを載せておきますのでご参照ください。
松本訳、掛川訳がピクニックの場所を「海岸」としているのは、この地理的条件を踏まえてのことなのかもしれません。
しかし、キャンベル池がグリーン・ゲイブルズから20キロ離れていることからも分かるように、作品世界の地理は現実のプリンス・エドワード島と必ずしも同じではありません。
作品中ではバーリー池と海岸の位置関係は明示されておらず、それを説明しないままいきなり「海岸」という語を出すのは、翻訳としてやや不親切ではないかと思います。
私はやはり、アンたちは池とその周辺のピクニックを計画しているんだ、と自然にイメージできる村岡訳の方が、プリンス・エドワード島の地理にくわしくない日本の読者が作品世界を楽しむためには、より適切だと思うのです。
それにしても翻訳とは難しいものです。
作品の背景に関する知識は、むろん大いに翻訳の助けとなることもありますが、逆に作品世界から読者を遠ざける夾雑物になる場合もあるのです。
(N. Hishida)
【引用文献】
L. M. Montgomery, Anne of Avonlea. 1909. New York: Bantam, 1992.
ルーシー・モード・モンゴメリー、『アンの青春』、村岡花子訳、新潮社(新潮文庫)、1987年
モンゴメリー、『アンの青春』、松本侑子訳、集英社(集英社文庫)、2000年
モンゴメリー、『アンの青春』、掛川恭子訳、講談社(講談社文庫)、2005年
(タイトルのBNはバックナンバーの略で、この記事は2014年7月に川村学園女子大学公式サイトに掲載された「えいごコラム」を再掲しています。)