堕肉の果て ~令和に奏でる創造の序曲(プレリュード)~
第一章 悪魔たちの円舞曲(ロンド)
103.新しい先生
前回までのあらすじ……(枝肉の果て)
辻井道夫は悩んでいた。
動物、畜産動物の死に関わる仕事をしている事では無い。
人が生きる為には命を頂かなくてはイケない事くらい従前より理解はしていた。
ビーガンであっても無機物だけでは生きて行けない、どの様に処理しようと植物であっても命に変わりは無いのだ。
枯れ落ちて、命の残滓も残らなくなった、『物』では人を活かす事は叶わない。
単純な物質としての炭素と水では生きては行けないのだ。
人に限らず、命ある者は他の有機物を摂取する事で、自らの命を保っているのだから。
では辻井道夫の悩みとは一体なんであろう?
それは、屠殺方法についてであった。
そもそも、殆どの場合、出荷される牛は、東京にある中央卸市場へと輸送される事になる。
その間、長時間のなれない行程に不安を感じ続け、また充分な水分補給もされない牛は非常に辛い思いをするのだ。
そうして辿りついた牛たちを待つのは機械的に行われる屠殺と解体である。
牛は他の草食動物同様、大変五感の優れている事でも有名だ。
係留された彼らは、どの様な気持ちで他の牛たちの苦悶の声を聞き、掻っ切られ迸る血の匂いを嗅ぐのだろうか……
せめて、安らかな死を、そう願う自分の気持ちを世の中に理解してもらうには、辻井道夫には立場も力も全く足りていなかった。
悩んでいる間にも、キャプティブボルトを打ち込む音が屠殺場から消える事は無い。
せめて、命絶えるまでと万全のスタニングをと祈った所で、途中で目覚めて恐怖の声を上げる牛たちを再び眠らせる事も無く効率よく屠殺作業は続いていく。
自身の無力に耐え切れなくなった辻井道夫は近々退職しようと心に決めていた。
偽善に他ならないし、何の解決にもならないが、命を増やす仕事、公営植物園の管理職員への転職を密かに準備していた。
最近になって妻が身篭ってくれた事も、切欠の一つであった。
そんな時、地元では無い場所から来た、太った女が目の前に現れた化け物と、命のやり取りをして勝利を収めた。
彼女は生き物、それも自ら手を掛けた動物の死にさえ、目を背けず淡々と向き合っていた。
そして辻井道夫の葛藤を見抜いたかのように、自ら命を断った牛のシャトーブリアンを要求したのであった。
辻井道夫は思った。
自分が転職しようと考えたのは、単に自分が耐えられなかったからではないのか? と。
辛いのは牛たちであって、自分では無いのだと言う事に、改めて気付かされるのであった。
その日、組合に残る事を決めた辻井道夫は、棘の道を歩く事になる。
せめて、命に感謝して、他の先進国並の安らかな死を……
その道を共に支える同い年の二人、若い頃、児童福祉関係の仕事をしていた現松阪牛肥育農家の秋沢明と、気は優しくて力持ちを地で行く三重県警のお巡りさん南野柔男、惻隠の情を持つ友の協力を得て、辻井道夫の旅は続いて行くのであった。
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松阪遠征から戻って数日経過した朝食後。
幸福寺の境内に、ただ一人、一心不乱でシャドーに励むコユキの姿があった。
まだまだ暑い季節という事も有り、コユキの全身はびっしょりと汗に塗れ、周囲に致死性であろう悪臭をばら撒いていた。
お隣のペスが抗議するかのように、クゥ~ンと情け無い声を上げている。
本堂前の敲きには、こちらも一人、野菜の星の王子様に身をやつした、モラクスがちっちゃいながらも威厳を感じさせる居ずまいで、腕組みをしてコユキのシャドーを見つめていた。
不意にコユキがシャドーを中断し、三戦立ちをしたままで、両拳を腰辺りまで引き絞ると同時に突き出したようであった。
ボボンッ!
相変わらず、その腕の動きは肉眼では捉えきれる物では無く、事後に伸びたままの両腕と、周囲に響いた風切音で推察する事しか出来なかった。
ゆっくりと腕を戻したコユキは本堂の方へ首を回すと、
「どうかな? モラクス君」
とモラクスに何やら尋ね掛けるのであった。
モラクスは組んでいた腕を解して答えた。
「悪くは無いかと、ただ単発で終わっているのが少々惜しいと思います」
と、落ち着いた声音で、流暢な言葉使いであった。
ここ数日で分かった事だが、以前より依り代に憑依する事で、ちょいちょい現実世界に顕現していたモラクスは、兄オルクスに比べて、格段に人間について詳しかったのである。
言葉もその知識の中に含まれていたようで、二日もするとソフビを見事に操り、落語『おいてけ掘』を披露するまでになり、夕食の席を大いに盛り上げたのであった。
何故か食事後、本堂に戻る途中オルクスに足を引っ掛けられて転んでいたが、まぁ、兄弟同士色々と思う所もあるのだろう。
兎に角、日本語を自在に話せるモラクスの登場で、コユキは現在、戦い方、主に攻撃手段についての指導を『強襲』のモラクスから受けている最中であった。
因みに今まで午前中のカリキュラムであった座学は、現在一時休止となっていた。
善悪やコユキが想像していた、悪魔についての知識は大好きなゲームや漫画の影響を受けて、かなり偏っていた物だったようで、モラクスから違うという指摘を受けた為だった。
善悪とコユキに、正しい知識を教えて欲しいと言われたモラクスは、暫し悩んだ後、口を開いたが周囲に響いたのは、大聖堂の鐘を連打したような、大音量の騒音であった。
軽く精神攻撃も含まれている様な、凶悪な音の暴威に震える二人を意に介さず、オルクスまでガラーン! ガラーン! とやり始め、お互いに相手の発言の内容を指摘し合っているのだろうか、モラクスのゴーン! ゴーン! と合わさって本堂の中は音の大洪水となり、その渦に飲み込まれた善悪とコユキはただ無力に座り込んでお互いの肩に縋り、怯え続けることしか出来なかったのであった。
そういった悲しい出来事を経て、座学は一時休止の憂き目を受け、午前中も戦闘訓練に当てられるようになったのであった。
「まず攻撃の動作についてですが、コユキ様の場合、途中で動作が終わってしまっているのです」
「途中で終わっている? 」
「はい、攻撃と言うのは対象に向けて繰り出される動きが半分、元の位置、つまり次撃を繰り出せる態勢に戻すまでが残り半分、これを御理解下さい」
「なるほど、最初の三戦立ちの形に戻すってことね? 」
「そうです、この際気を付けるのは、繰り出す、戻すという二つの動作を続けてやる、と考えるのでは無く、繰り出して戻るという一つの動きとして、意識せずに行えるよう修練すると言う事です」
「ふうむ、行きと帰りのはっきり分かれた遠足じゃなくて、走るという行為一つだけで戻ってくる周回コースのランニングみたいな感じだね? 」
「そうですね、その感覚でよろしいかと」
「よし、その一連の動作を一つの物へと昇華する為には、反復あるのみってことね! 日課で走りなれたランニングコースを考えなくても周回出来るみたいに、よね? 」
モラクスが頷きを返した事を確認したコユキは三戦立ちをすると、意識して二つの動作の同一化に取り組んだのだったが、これが望外に簡単に習得できたのだ。
僅か数回試しただけで、
「うん、大体分かったわ♪ 」
とか言っちゃって、連続して両手を同時に打ち出すのであった。
ボボンッ! ボボンッ! ボボンッ! ボボンッ! …………
こんな急激な成長を遂げた理由は、至極単純に、慣れていた、からであった。
二つの動作を一つの動作に、それは、もう何十年も続けてきた、かぎ棒での編み物の、毛糸を絡めて引くという動作と、引き抜いて次の目を作るという動作の二つを、当たり前の様に『目を作る』若しくは『目を数える』といった一つの動作として捉えてきた経験から、素直に取り組んだ事によるすんなりとした結果であった。
何日か前に善悪が言った言葉、『無駄な事は一つも無い』が又一つ証明された瞬間でもあった。
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拙作をお読みいただきありがとうございました!
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