ケタケタ(エッセイスト『仮』)

ヨーグルトと倒置法が嫌いです。 エッセイ書いてるので読んでください、もしよければ。

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最近の記事

エッセイ『神へのアンチテーゼ』

『神様、許さねえぞお前の悪事は、』 あ、新年初エッセイなのに、心の声が漏れてしまいました、つい。 インターネットのデータによると、日本人のおおよそ50%は初詣に行くらしい。正月という貴重な時間を割いて、わざわざあんな長い列に並びに行くのである。日本人の信仰心は素晴らしいんだなあ。あれ、つい1週間前にクリスマス祝ってたんじゃなかったっけ? おっと、話を戻そう。初詣では皆、神社の本殿に向かって5円を投げ入れ、頭を垂れて、これから一年のお願い事をする。お願い事の内容は、『

    • エッセイ『早起きは何文の得?』

      『早起きは三文の徳』 この言葉は果たして本当なのだろうか。私はこのことについて甚だ疑念を抱えている。確かに朝早く起きた日は、その日のタスクを早めに終わらせたり、自分の好きなことに使える時間が増える。確かにそれは良いことだ。ただ、早起きってそんなに簡単だろうか。私的に、早起きは人生における最難関課題である。 仮に朝6時に起きたとする。私のような大学生にとっては十分な早起きである。少し喉が渇いているので、リビングの冷蔵庫へ行って牛乳を一口。ああ、幸せだ。太陽の光も心地いい

      • エッセイ『飾りじゃないのよ』

        人間は好きな人の前で、その人の好みの人物像になりきって、相手の好みのタイプのフリをしてしまう。私もそんなことがよくある。『よく喋る人が好き』と言われたら、できるだけたくさん話すようにする。『シンプルな服を着てる人が好き』と言われたら、デートにはシンプルな服しか着ていかない。『趣味が合う人が良い』と言われたら、相手の趣味を自分も好きになろうと努力する。これは全部自分自身を取り繕って、本来の自分とは違う自分を演出している行為にすぎない。 私はこのようなことの常習犯であるのだが

        • エッセイ『日本人取扱説明書』

          この文章は外国人に向けたものであるが、日本人の方々にも読んでいただきたい。 こんなことを聞いたことがある。日本人の中でも特に京都の人々は、物事や主張を遠回しに伝えると。例えば、『お宅の娘さん、ピアノが上手ですね』というセリフは『ピアノの音がうるさいです』という意味になるらしい。うーん、理解し難い。遠回しどころか意味が真逆である。京都の人を理解するのは難しいなあ。しかし、よくよく考え直してみて欲しい。京都以外に住んでいる日本人にも、思い当たることがあるのではないだろうか。

        エッセイ『神へのアンチテーゼ』

          エッセイ『世界一難しい言語』

          世界で最も難しい言語、それは日本語である。 私が世界中すべての言葉を喋れたとしたら、この言葉に説得力があると思うのだが、不幸なことに私は日本語と英語しか話すことができない。それでも私は言い切れる。日本語が世界で一番難しいと。 その理由はいくつかある。言わずもがな、ひらがな、カタカナ、漢字という三つの文字を使いこなさなければならないという時点で酷ではある。他にも日本語の難しさを象徴している特徴は30万個ほどあるのだが、今回はその中でも特に難しいと感じるものを紹介する。

          エッセイ『世界一難しい言語』

          エッセイ『美容室トラップ』

          ここだけの話なのだが、美容室の中にはトラップが山ほど仕掛けられている。しかもそれはすべて回避不可能のトラップであるから、タチが悪い。今回は特別に美容院に行く際に気をつけるべきトラップを教えようと思う。 一番注意しなければならないのは、髪を切る前の準備段階の時だ。この段階のメインイベントはシャンプーである。ここにも、たくさんのトラップが仕掛けられているのだが、皆さんはきっと気づいていないだろう。シャンプーをしている間は至福の時である。ここで私たちは、顔にティッシュのようなも

          エッセイ『美容室トラップ』

          エッセイ『お疲れ様でした。』

          「今日は楽しかったね〜、バイバーイ」 この類のサヨナラは大学生から社会人という流れを機に絶滅危惧種へと指定される。 『お疲れ様です』という強敵の台頭によって。 大学1年生の春、私は人生で初めてアルバイトをすることになった。そこで既に働いている人が使っていた『お疲れ様です』という言葉の耳通りが悪かったのを今でも覚えている。職場に入る際には必ずみんなロボットのように『オツカレサマデス』と口ずさむ。その前の年まで高校生だった僕には“お疲れ様です文化”などというものは存在していな

          エッセイ『お疲れ様でした。』

          エッセイ『オノマトペ』

          オノマトペ…ものの音や声などをまねた擬声語のことを言う。ざあざあ、チョキチョキなど 日本のオノマトペというものは、意味がわからないほど難しい。というか、意味がわからない。私の外国人の友達は皆、日本語を勉強する際に、このオノマトペというモンスターに苦しめられていると言っていた。しかし、我々日本人は当然のようにこのオノマトペを使いこなしている。うん。超人である。間違いない。私がオノマトペをモンスター級に難しいと思うきっかけとなったのは、『メソメソ』というオノマトペについて

          エッセイ『オノマトペ』

          エッセイ『あるはずのないもの』

          幽霊は怖いだろうか? 当然私の答えはイエスである。幽霊は怖い。 私は塾講師をしているのだが、興味深い生徒に出会った。霊が見えるという小学二年生の女の子である。中学生男子の霊感がある自慢は9割が嘘だと思っているが、流石に小学生の女の子が嘘をつくとは思えない。その子によると、霊がはっきりと見えすぎて、人間か幽霊かわからない時が多いという。だから、人通りが多いところだと幽霊かどうかの判別がつかないらしく、幽霊はあまり怖くないとのこと。この時点で私は塾の講師であることを忘れ、興味津

          エッセイ『あるはずのないもの』

          エッセイ『見てはいけません』

          この文章は絶対に読んではいけません。読まないでください。 そう言われたらこの文章が読みたくなってくるのではないか、と思ってあえてこのエッセイのはじめをこんな感じにしてみた。まあ、そんな簡単なトラップには引っかからないとは思うが。しかし、『絶対に見てはいけません』この言葉の持つ力は凄まじい。人間という生き物は『見るな』と言われると見てしまいたくなるのだ。それは古今東西老若男女に共通しているのではないかと思う。今回はそんな『見るなのタブー』について考えていきたい。 「この前彼

          エッセイ『見てはいけません』

          エッセイ『羞恥心ヲ捨テヨ』

          電車の中は暇である。だから私は無意識に人間観察をしてしまうのだが、人がスマートフォンを持つ角度というものは実に面白い。ほとんどの人は地面に対して斜めに持っているが、地面とほとんど並行で持っている人や、顔面のちかくで周りの人に見られないように持っている人もいる。 ここで私は、男性を代表して女性の皆様に一つ知らせたいことがある。若い男性が顔面の近くで周りに見られないようにスマートフォンを持っている場合は99%ティンダーなどのマッチングアプリで右スワイプをしている。これは間違いな

          エッセイ『羞恥心ヲ捨テヨ』

          エッセイ『彼』

           ゴキブリは家の中と外で戦闘力が変わる。  この前、渋谷の道でゴキブリに遭遇した。全然怖くなかった。なぜだろう、ここで一つの疑問が浮かんだ。なぜゴキブリは外で遭遇するとそこまで怖くないのに、家で遭遇するとここまで怖いのだろうか。  確かにゴキブリの見た目や挙動が気持ち悪いのは言うまでもない。見た目はもちろんのこと、何よりも動きが気持ち悪い。なんだあのスピードは。速すぎる。一説によるとゴキブリは、人間の大きさに換算すると、100mを3秒代で走るらしい。追いかけられたらひとた

          エッセイ『肩書き』

          そーいえばこの前、インスタグラムを見漁っていたら、プロフィール欄に『こっそりモデルしています』と書いている女がいた。気にくわん、何がこっそりだ。思いっきり書いてしまっているではないか。こっそりに対する冒涜である。ただ、こっそりモデルをしているというワードの裏側には、承認欲求だけでなく、なんらかの効果を持った有効成分がびっしりとこびりついているように感じる。こんな経験はないだろうか、全然可愛くない女でも、モテているらしいという噂を聞くとなんだか可愛く見えてくる。これだ、これと同

          エッセイ『ああ、めんどくさい』

          『ああ、めんどくさい』 『脳ある鷹は爪を隠す』これは日本人ならではの美学、『隠し』の美学を象徴したことわざ。これは、能力のある人ほど、自分の能力をひけらかさないという意味である。こんな感じで日本人ってのは、自分の能力とか様々なものを隠すという習性を持った変わった生物らしい。ああ、めんどくさい。僕もそんな変な習性をもった日本人という種として生まれてしまった。僕は塾講師として古文を教えているのだが、古文を読んでいて昔から日本人は変わってないんだなあと感じることがしばしばある。

          エッセイ『ああ、めんどくさい』