エッセイ『お疲れ様でした。』


「今日は楽しかったね〜、バイバーイ」
この類のサヨナラは大学生から社会人という流れを機に絶滅危惧種へと指定される。
『お疲れ様です』という強敵の台頭によって。

大学1年生の春、私は人生で初めてアルバイトをすることになった。そこで既に働いている人が使っていた『お疲れ様です』という言葉の耳通りが悪かったのを今でも覚えている。職場に入る際には必ずみんなロボットのように『オツカレサマデス』と口ずさむ。その前の年まで高校生だった僕には“お疲れ様です文化”などというものは存在していなかったため、不自然に感じたのだろう。この言葉が使われていく範囲は、時間とともに拡大していく。友人との飲み会の後や旅行の最後でも『お疲れっす』みたいな感じの言葉で行事の幕が閉まる。残念で仕方がない。私が『お疲れ様です』というワードが好きじゃない理由は、この言葉を使う時は、そんなに疲れていない場合が多いということだ。バイトや仕事の終わりに使うのはまだ許せる。大抵の場合はそれなりに疲れているからだ。しかし、バイトや仕事の前に使うのはどうも癪に障る。私たちはこれから疲れる予定なのに、どうしてすでに疲れているみたいな言い方をするのだろうか。ん、待てよ。実はここに日本人ならではの感情が含まれているのではないだろうか。日本人は、世界の中でも有数の長時間労働大国であり、日本人のなかに『今日は仕事じゃん嬉しすぎる!楽しみ!』的なことを言っている人がいたら、それはそれで異質である。そんな日本人が最も仕事をしたくないと感じているのは、実は仕事にいく前なのではないだろうか。うん、多分そうだ。私自身も、今日はバイトに行きたくないなあと思うことはよくあるが、案外行ってみたら楽しかったということがよくある。そうか、もしかしたら仕事を始める時が一番疲れているのかもしれない。よし、みんな今日は早く寝よう。

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