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エッセイ『飾りじゃないのよ』


人間は好きな人の前で、その人の好みの人物像になりきって、相手の好みのタイプのフリをしてしまう。私もそんなことがよくある。『よく喋る人が好き』と言われたら、できるだけたくさん話すようにする。『シンプルな服を着てる人が好き』と言われたら、デートにはシンプルな服しか着ていかない。『趣味が合う人が良い』と言われたら、相手の趣味を自分も好きになろうと努力する。これは全部自分自身を取り繕って、本来の自分とは違う自分を演出している行為にすぎない。

私はこのようなことの常習犯であるのだが、どうしようもなかった事がある。自分が好きになった人と、『どんな人が好きなのか』というテーマについて話していたときの事だった。

『飾ってない人が好き』

彼女はそう言った。私はギクッとした。なぜだろう。なんとも言えない感情がほとばしったのを今でも覚えている。私はその日のデートの帰り道、山手線に揺られながら、あの時のなんとも言えない感情について考えていた。そうして考えた結果、私が変な感情に囚われた理由がわかった。“私はその人のタイプになることはできない”ということを肌で感じたからであった。好きなタイプになることができないと言うよりは、タイプの人物像を演じることができないと言った方が正しいであろうか。

飾っていない人間はどんな姿にでも自分を飾ることができるけれど、すでに飾ってしまった人間はもう飾っていない人間に戻ることはできない。飾っていない人間になるために努力をして、仮に相手に『この人は飾ってない人だ』と思われたとしても、それは飾った“飾っていなさ”であり、偽りでしかない。

白のキャンバスにはどんな絵だって描けるけど、一度何かを描いてしまったキャンバスは、もう真っ白には戻れない。困っているのかい。まあ、消しゴムを使えばいいさ。

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