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エッセイ『神へのアンチテーゼ』


『神様、許さねえぞお前の悪事は、』


あ、新年初エッセイなのに、心の声が漏れてしまいました、つい。

インターネットのデータによると、日本人のおおよそ50%は初詣に行くらしい。正月という貴重な時間を割いて、わざわざあんな長い列に並びに行くのである。日本人の信仰心は素晴らしいんだなあ。あれ、つい1週間前にクリスマス祝ってたんじゃなかったっけ?

おっと、話を戻そう。初詣では皆、神社の本殿に向かって5円を投げ入れ、頭を垂れて、これから一年のお願い事をする。お願い事の内容は、『健康でいられますように』、『受験に合格しますように』、『彼女ができますように』、など様々である。

お祈りが終わった人は、本殿を離れ、次に何をするのか。そうだ、そうである、おみくじをひくのだ。ここが私の怒りポイントである。一石どころか十二石くらい投じたい。おみくじというのは、いわばお願い事に対する神からのリプライである。今年がどんな一年になるのかということが、事細かな分類によって書かれてる。おみくじを信じるならば、大吉が出れば良い年、凶が出れば悪い一年ということになるのだろう。これがおかしいのである。私たち日本人は、新しく始まった年を良い年にするために、長い時間と労力をかけて初詣に行っているのにも関わらず、今年がどんな年になるかを決める分岐点が“おみくじ”に設定されているのである。

例えば、たかし君が『受験に合格できますように』というお願い事をしたとする。受験生のたかし君が貴重な時間を割いて、お願いを叶えてもらうために初詣に来てくれているのだ。神は当然その期待に応えなければならない。その後に、たかし君はおみくじをひく。これが大吉とか中吉だった場合は問題ない。しかし、凶だった場合はどうであろうか。こんなことが書いてあるのである。

願い事・・・叶わず。



は????????????????

これだ。私の怒りの根源はこれである。わざわざ願いが叶うように期待を込めて神社に行っているのに、神からのアンサーは運任せなのである。意味がわからん。なんでやねん。こっちは二礼二拍手一礼という作法を守ったり、あんまり財布に入っていない五円玉を賽銭箱に入れたりしてまで、お願いをしにいっているのに、最後は運なのである。しかも、凶が出たら、『お前は一年間いいこと何もないし、何をやっても失敗するよ〜』みたいなことが書いている場合もある。散々である。

今年の運を決めるのは、神様ではない、おみくじをひく貴方の腕なのである。自分の人生は誰かに頼るんじゃなくて、自分で切り開いていけ、ということであろうか。これがもしかして神からのメッセージ? そんなわけないか。

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