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エッセイ『ああ、めんどくさい』

『ああ、めんどくさい』

『脳ある鷹は爪を隠す』これは日本人ならではの美学、『隠し』の美学を象徴したことわざ。これは、能力のある人ほど、自分の能力をひけらかさないという意味である。こんな感じで日本人ってのは、自分の能力とか様々なものを隠すという習性を持った変わった生物らしい。ああ、めんどくさい。僕もそんな変な習性をもった日本人という種として生まれてしまった。僕は塾講師として古文を教えているのだが、古文を読んでいて昔から日本人は変わってないんだなあと感じることがしばしばある。

 『見る』・・・結婚する。

 これは古語辞典に載っている『見る』という動詞の意味である。現代における『見る』という単語は、英語でいう『look at』や『watch』の意味と同義と考えるのが妥当である。平安時代に『見る』という単語が上記のような意味になったのは、平安時代の女性が、家族以外の男性に顔を見せてはいけないという決まりがあったことに由来する。なんてめんどくさいんだ。だから、女が男に顔を見られる時は結婚した後だけ。こういった感じで古文での『見る』は『結婚する』という意味になった。ちなみにみられそうになった時は扇とか袖で顔を隠してたらしい。ああ、めんどくさい。イスラム教みたいにヒジャーブ(スカーフ)みたいなので隠せばいいのに。

『袖を濡らす』・・・泣く。

『袖を濡らす』というフレーズは、平安時代でバズりにバズっていたワードだ。2021年における『ぴえん』と双璧をなしていたといっても過言ではない。素直に『泣いた』と言えばいいものを、わざわざ表現の遠回りをして、袖が濡れた→涙で袖が濡れた→泣いたという三段階方式を使って、わざわざ伝えようとしているのだ。ああ本当にめんどくさい。こんな感じの習性は平成・令和になっても変わっていない。素直に『君が好きだ』なんて歌詞にしている歌はあまり流行らない。どの歌も、なるべく遠回しに相手のことを好きだと伝えたがる。ああ、なんてめんどくさい生き物なんだ、日本人よ。僕はそんな日本人が嫌いだ。わざわざ遠回しにしないで、好きとか面白いとか幸せとか、ありのままの伝えればいいのに。ああ、マジでめんどくさい。

 そーいえばこの前、テレビでお笑い番組を見ていたらコーヒー吹いた。

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