カレンダーストーリーズ_表紙

『カレンダーストーリーズ』オモテ12月「ニコライ」(1)         【短編小説】作:丘本さちを

 それは別荘でのことでした。特に裕福だったではありませんが、私の父は山間に別荘を所有していました。後に聞いたところ、そこには元々祖母の一族が遊ばせていた土地があり、好事家の祖父が祖母を言いくるめて居宅を建てたということです。それを父が受け継いでいたのでした。

 私は八つでした。七つまでは神の内と言いますが、まだ物心がついたばかりの子供でした。母に似て肌の色は白く、とても大人しい性格でしたので、よく女の子に間違われていました。男らしさのない息子を情けないと感じていたのでしょう。父は私によく言いました。

「お前は男のくせに意気地がない。本当に俺の子か?」

 父を相手にする時には、ただでさえ気圧されていた私です。そうなじられると気を落としてしまい、父の前でますます小さくなりました。

 あの冬。私は初めて父と二人きりで別荘に向かいました。母が弟を妊娠していたからです。年が明ければすぐにでも生まれそうなほど、母のお腹は大きくなっていました。もし年末年始に産気づくことがあれば大変だわと、母は誰に向かって言うでもなく漏らしていました。例え母が身重であろうとも、父は別荘へと向かいました。いつもそうなのです。ふと気紛れに別荘へと足が向き、しばらくの間(大体はひと月ほどでした)、そこに滞在していました。直情的な性格もあったのでしょうが、画家という職業の特性もそこに影響していたのだと思います。子供の私にはよく分かりませんでしたが、その頃の父は売れない画家を生業としていたようです。実家の離れはアトリエに改装され、画材の油臭が充満していました。母曰く「まったく絵の勉強をしたこともない」父が、なぜ画家などという商売を始めたのか。それは父自身にしか分からない謎でした。

 別荘のことに話を戻しましょう。

 拓けている東部と違って、K県の西部は人口もまばらな山地であることは、一般によく知られていることかと思います。父の別荘はその山地の奥深くにありました。幹線道路はもとより、県道どころか、地元の人間しか使わないような曲がりくねった林道からさらに枝分かれした先(まさに僻地という言葉でしか言い表せないような場所です)に、一件だけぽつんと古びた家屋が佇んでいました。辛うじて車が通れるほどの道幅がありましたので、私たちはいつも父の運転でそこに向かいました。周囲には背の高いカラマツの原生林が広がっていて、夏は爽やかな緑の景観を楽しめるのですが、真冬ではそれは望めません。使い古したブラシを思わせる、赤茶色にくたびれた木々の群れが立ち尽くしているだけです。私は父と二人きりという不安と、冬枯れの景色の寂しさが胸の内側で混ざり合って、奇妙な緊張を感じていました。窓ガラスの向こう側では、車の移動によって林の隙間が変化し、横滑りの万華鏡のように模様を移ろわせていきます。幼い私は、催眠術を掛けられつつある観客のようにその様子をじっと眺めていました。やがて、木々の間に、えんじ色の屋根を持つ二階建ての建物が見え隠れし始めました。あれが父の別荘です。太い腕がハンドルをゆっくりと切ります。道は大きくカーブして、私たちの車を別荘の前へと連れていきます。

 サイドブレーキを引く音が車内に響きました。父はトランクと後部座席から荷物を下ろし、玄関の前まで運んでいきます。別荘は昭和の初期に建てられたものだということでした。外壁は木の板が張られていて、窓やドアの枠は白いペンキで塗られていました(そしてどこもかしこも剥げかけています)。いかにも高原の家といった風貌で、どこか異人館を思わせる佇まいでしたが、その頃の私は異人館などという言葉は知らず、ただ普通とは違う変わった家だと感じていただけでした。建物自体は車を駐めている前庭から少し高い場所にあり、斜面には丸太を横にした階段が組んであります。

「イサム。お前も手伝え」

 そう言われたものの、食料の入ったダンボールや灯油のポリタンクなど、重いものは父でなければ運べませんでした。私は着替えの詰め込まれたリュックサックや、父の画材が入った鞄など、小さな細々したものを運びました。私たちは車と家の間を何度も往復しました。気温は低かったのですが、体を動かすと汗をかきます。下着と肌の間に湿り気を感じ、口から吐き出す白い息の塊が大きくなります。すべての荷物を玄関の前に運び終わると、父は上着のポケットから鍵束を取り出し、その中のひとつを鍵穴に差し込みました。

 ドアの奥は、ずっと動いていない密度の高い空気が一杯に詰め込まれていました。冬の斜光ですら届かなくて真っ暗です。暗闇に臆した私が足を踏み出すのを躊躇っていると、その横を父の脚が通り過ぎていきました。父は中に入るとすぐに踵を返し、内壁のフックに引っかけてあったもう一つの鍵をつまみ上げました。

「お前はここで待っていろ」

 そして赤いポリタンクをひとつ持って別荘の裏手へと歩いていきました。納屋の発電機を回しに行ったのです。私は父に言われたとおり、玄関の前でじっと待っていました。動くのを止めたので汗が冷えてきました。昼を回ったばかりだったのですが、空には折り重なるように雲が掛かっていて、太陽はどこにあるか分からず、視界は薄ぼんやりとした曖昧な光に照らされています。北風がカラマツの枝を揺さぶっています。それが雪の兆候だとは、幼い頃の私には分かりませんでした。

(2)に続く https://note.mu/kesyuhamonium/n/n9f03a9a5d0ab

オモテ12月「ニコライ」(1)/文・丘本さちを
cover design・仲井希代子(ケシュ ハモニウム × ケシュ#203)

*『カレンダーストーリーズ』とは…"丘本さちを"と"毎月のゲスト"が文章やイラスト、音楽などで月々のストーリーを綴っていく連載企画です。第一月曜日は「オモテ○月」として丘本の短編小説が、第三月曜日は「ウラ○月」としてゲストの物語が更新されます。

※2016年 10月の更新をもって『カレンダーストーリーズ』の連載は終了しました。お読みいただいた皆様ありがとうございました。

丘本さちを(おかもと さちを)…映像プロデューサー、週末小説家(2015年12月現在)。大手CMプロダクション、出版社勤務を経て現在フリーランス。映像制作業に勤しみつつ、精力的に小説や歌詞などの執筆活動を行う。第5回新脈文芸賞受賞。既刊本に『往復書簡 傑作選』(仲井陽との共著、ケー出版)がある。今秋に『続・往復書簡 傑作選』を刊行予定。謎の集団ケシュ ハモニウム創設メンバー。愛称は”さちを”。物静かだがフレンドリーな対応に定評あり。

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