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日本人は変態ではない(アメリカ留学#4)

 夏期講習が始まった。教師はれっきとしたアメリカ人だが、内容は中学・高校レベルの英語の授業だ。当然日本語は扱わないため、日本の英語の授業と比べると高度だといえるかもしれないが、そこまで大きな違いはない。軽く文法をやったり、スピーチの練習をしたり、たまにアメリカの歴史について学んだりした。

 生徒は僕一人というわけではなくて、驚いたが、日本人の女性が二人、中華系ベトナム人女性が一人、そして中国人男性が一人という構成だった。日本人女性二人は日本の大学に通う普通の大学生で、ベトナム人は高校生、中国人はなんと中国で大学の教授をやっている人だった。昼はこの夏期講習を受け、夜は教授としての仕事をこなすという。立派だ。当時、親に費用を全て頼っていた僕の目には、彼が酷くまぶしく映った。

 きっかけは忘れてしまったが、僕はベトナム人の子と一番話す関係になっていた。ここでは彼女をベトナムのナムさんと呼ぶことにしよう。ナムさん夏期講習のクラスメイトの中で最年少ながら、英語能力がずば抜けて高かった。発音はネイティブとそん色なく、僕の書いた文章を校正する文章力にもたけていた。当然、先生との会話もスムーズだ。どうやってそこまでの英語能力を身に着けたのかと聞くと、彼女は何てことないように「学校の授業で勉強した」と答えた。

 一瞬、ベトナムの英語教育のレベルはそんなに高いのかと驚いたが、日本でもALTとして英語がネイティブの先生を招きスピーキングのレッスンは授業中に何度もあったはずだ。しかし、皆、失敗を恐れ、挑戦を恥じ真面目にやる人は少なかった。それは僕も含まれている。両国の英語教育を比べることは僕にはかなわないが、もし、ここまで自分と彼女の英語力の差が開いている原因が授業に真面目に取り組んでいないことだとしたら、と考えて、僕は非常に自分を恥じた。

 僕は、個人的に年齢でー極端に離れている場合は除いてー偏見を持たないように努めているが、当時、年下の女の子に純然たる力の差を知らしめられ、しかもその能力が最も現状自分が欲していたものだったがゆえに、彼女に密かに嫉妬した。そしてそれ以上に、自らに落胆した。

 彼女は英語力だけでなく、コミュニケーション能力にもたけていた。もしかしたらそれは言語能力に起因するものだったのかもしれないが、彼女は僕が興味のありそうな話題(日本のことなど)を積極的に質問してくれて、会話を盛り上げようとしてくれた。

 この部分は、僕が抱える僕自身の醜い部分でもあるのだが、彼女が口を開くたび、彼女の英語力に圧倒されて、僕は話す気力を徐々に失っていた。日本での英語の授業の時のような、失敗を恐れ、挑戦を恥じるようになったのだ。年下の彼女に英語が出来ないと思われるのが怖かった。小さなプライドだ。新しい環境に慣れていなかったという理由もあるにはあるが、年上としてのプライドを守りたいという、何の役にも立たないその思いが何よりの理由だった。僕の口数は少なかったが、それでも彼女は僕と話すことをあきらめなかった。優しい子だった。

 ある日、ナムさんとスーパーにいった。僕が運びきれないほどの水を買ったあのスーパーだ。彼女は日用品を買う必要があったが、そのスーパーに行ったことがなかった。そこで僕が案内することになったのだ。どのバスに乗ればいいのか教えながら一緒にスーパーへと行く。荷物持ちとして期待されていることはわかっていたが、それでもかまわなかった。

 僕を救ってくれたベンを真似て、僕は彼女の買った水のパックを肩に担いで持ってあげた。小さなプライドが邪魔してうまく話せない僕と話してくれる彼女へのせめてもの恩返しだった。まったくつらくない。彼女の部屋まで向かいながら、広大な無人のキャンパスを二人歩く。

「そういえば聞いたんだけど」

 彼女が口を開く。気になるけど、言いにくそうに、そしてどこか申し訳なさそうに彼女は続ける。

「日本人は変態だって友達が言ってたけど、そんなことないよね?」

 後になって知ったが、日本が作り出したエロアニメやエロ漫画は世界では有名で、それらはHENTAIという一つのジャンルとして認知されるほどらしい。きっと彼女はそのようなことを友達から聞いたのだろう。僕としては僕を含める日本人がそれほど性に対して特殊な趣向を持ち合わせているなんてことは知らないし、大して興味もなかった。世界のスタンダードをそもそも知らない。というかそんなこと比べて意味があるのか?

「ああ、そうだね。日本人は変態だよ。俺の友達も皆変態だよ」

 完全な冗談だった。特に深い意味なんてなくて、これで笑ってくれたらいいななんて思ったからこその軽口。しかし、それを聞いた彼女の表情は対照的に重かった。怒っているようだ。なにかまずいことを言ったかな、という少し不安げな表情を浮かべる僕に、彼女は冷静に言う。

「そんなこと冗談でも言っちゃダメだよ。日本人のあなたがそんなこと言ったら、信じる人が出る。そしてほかの日本人に迷惑がかかるよ」

 ぐうの音も出なかった。彼女の言うとおりだと議論の余地なく認めてしまった。僕は別に全留学生が自国を背負うべきだとは思わない。自国のイメージを守るために、自分の言いたいことややりたい事を制限する必要はないと考えている。

 でも、彼女の言い分はどうしようもなく正しいのだ。望む望まない、意図しようがしまいが、外国での振る舞いはその人個人由来のものという認識以上に、その国由来のものだという風に認識されがちだ。つまり直接的にではないが、留学生という存在は否が応でも、ある程度は自国のイメージを背負わなければならない立場なのだ。当然それを知ったうえで、それでも好きなようにふるまいたいのならそうすべきだと思うし、それをとがめるのは難しいと思う。それでも、少なくともそのことを知っておく必要はある。彼女のその言葉は、そのことを僕に教えてくれた。

 それに気づいたとき、彼女に気づかされた時、僕は自分を恥じた。しかしそれ以上に、彼女のことを深く尊敬した。年下だとか関係ない。年齢は能力の前には無意味な数値なのだろう。

 以降、僕は人にこの手の質問(ほかの日本人が回答に困る、もしくは日本人に対して偏見を持たせるようなもの)にはすべて「I don't know」で答えるようにしている。それが明らかに彼らが求めていた答えではなくとも、それがどんなに場をしらけさせることになろうとも徹底している。これは決して愛国心だとか、偽善的な考えからくるものではない。僕自身がそうすべきだと思っているからこその行動だ。

 ナムさんは夏期講習の間だけ、しかも全てではなく半分の期間だけの留学だったので、たった一か月だけの付き合いだった。それでも彼女からはコミュニケーションを始め、多くのことを学ばせてもらった。とても感謝しているし、英語でのコミュニケーションにおいて彼女の真似をすることも多々あった。

 ありがとう、ナムさん。なんだか毎回最後に誰かにお礼を言っている気がするな。


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