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コンプレックスという障害物を乗り越えてきたんだから

子どものころからのコンプレックスがある。勉強ができなかったり、スポーツができなかったりすることに悩んでいる。そのようなコンプレックスを抱えて生きていくのはつらい。常に緊張しながら生活している。

「○○のコンプレックスのことで、友だちから馬鹿にされたらどうしよう?」と不安になることもある。

社会人になると、会社によっては定期的にゴルフコンペやスポーツのイベントがあり、スポーツコンプレックスがあるとその日は常に緊張が続く。

しかし、君はそんな状況の中で生き抜いてきたんだ。コンプレックスは君にとって大きな障害だったけれど、それを乗り越えて今ここまでやってきたんだ。君は本当にすごいことをしているんだよ。そういう自分を褒めようよ。

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謙虚な君は「僕は自分を褒められないよ。だって、そのコンプレックスから逃げているんだから」と言うかもしれない。いやいや、そんなことはない。君はコンプレックスという障害物を乗り越えてきたんだから、逃げているわけじゃないんだ。道の真ん中にに大きな岩があるとする。君はその岩をジャンプして乗り越えて道の向こう側に進んだんだよ。だから、そういう自分を褒めてあげてほしいんだよ。

コンプレックスには人それぞれ大小がある。コンプレックスの少ない人は人生を楽々と生きるかもしれない。でもコンプレックスの多い人はなかなか楽々とは生きられない。ひとつのことを乗り越えるのに結構なパワーが必要だからだ。でも考えてほしい。楽々としている人はそんなパワーを必要としないが、そうでない人はパワーを必要として、それをやってきた。たぶん楽々としている人がそれをやれといってもできないと思う。しかし君はできている。すごいことだよ。

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本当はコンプレックスなんて抱えなくていいんだよね。でもなぜ抱えてしまうか?それは子ども時代からの教育と風潮だと思う。たとえば「スポーツはできないといけない」とか。今の時代はサッカーかな? サッカーが下手だとカッコ悪いと思われる(僕らの時代は野球だった)。勉強はできる子は褒められる。できない子は叱られることもある。たとえ叱られないにしても褒められることはない。何も褒められないことで、その子は徐々に自信を失ってしまう。

体育の授業でサッカーの試合あったとしよう。自分のチームに誰を選ぶか?そんなやりとりがあったとしよう。サッカーが上手い子は「こっちへ来いよ」と呼ばれる。下手な子は声がかからない。声のかからない子は、いじめられたわけではないのに「俺はダメだな・・」と思ってしまう。放課後の遊びでも同じだよね。上手い子は「今日サッカーするからお前も来いよ」と誘われる。下手な子には声がかからない。友達から「お前来いよ」と誘われると「自分は必要とされているんだ」と思い、そうした経験で自己肯定感も高まる。声のかからない子は知らず知らずのうちに自己肯定感が下がる。

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なぜこんなことになるか。やっぱり大人たちが作った教育と風潮だと思うんだ。大人たちが「こうならないといけない」というような、「一つの型」を作ってしまうからだ。その型に上手くはまればいいのだが、はまらない子はコンプレックスを抱えることになる。

大人たちは、「なるべく良い高校や大学に行かないといけない」「スポーツも上手くないとカッコ悪い」「人間関係も上手くないといけない」といった風に、「一つの型」を作ってしまう。でもね、本当は型って人間の数だけ存在するものなんだよ。だから、大人たちによって作られた「一つの型」は、全体の数パーセントしか占めていないんだよ。でも、その型にはまらないことで自信を失ってしまう。しかし、そんなことでコンプレックスを抱える必要はない。大人たちが勝手にそんな型を作ってしまっただけだから。僕らはロボットじゃないんだから、みんな同じでなくてもいいんだよ。人間は本当に数多くの型があるものなんだから。

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コンプレックスを抱えている人は、コンプレックスの数に比例して物事を乗り越えている。すごいことだ。その分自分を褒めてあげよう。


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