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電車内で喫煙を注意した高校生が暴行された事件 → 複数人で助けに行く方法がある

23日正午すぎ、電車内で喫煙をしていた28才の男に勇気ある高校生が注意したところ、逆ギレされて10分以上の暴行を受け重傷を負った。

今この事件が話題になっている。
このニュースを読めば読むほど腹が立ってくる。

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そのとき、電車内に乗客はいたらしい。
高校生の友人3人は止めようとしたが、他の乗客は止めようとしなかったらしい。

なんでみんな見て見ぬふりなのか? とても疑問に思う。

10分以上も無防備の人に暴行を加えるなんで尋常じゃない。
少しでも早く止めに入る人はいなかったのか?

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僕はふと思ったのだが、もし止めに入りたくても怖くて一歩が踏み出せないなら、近くで傍観している大人の男性に「一緒に止めに行きませんか?」と声をかけるのはどうだろうか?
で、その男性がOKなら、すぐに行く。


複数人の男性が制止に入ったら、暴行している男は暴力を振るわないと思うんだよね。
罵声は浴びさせられるかもしれないけど、そんなの関係ない。
あと、もし誰かが先陣切って止めに入っていたら、それに続いて「俺も行く」「私も行く」という具合で、後から加担しに来る人もいると思うんだよね。
「みんなでやれば」という人間心理が働くのではないか。

たぶん、近くの男性に声をかけたら、かけられた男性もそれに勇気をもらって「うん、行こう」になると思うよ。
もし1人目がダメでも何人かに声をかけたら、以外に早く一緒に行ってくれる人が見つかると思うんだ。

声かけのポイントは、「誰か一緒に行きませんか」と不特定多数への呼びかけはダメ。それだと〈俺が行かなくても、誰かが行ってくれるだろう…〉と思っちゃうんだよね。
だから、近くの人に直接声をかけること。それだと思う。

そして暴行男を制止さえすれば、電車は次の駅に停まるわけだから、その間だけ何んとかすればいい。
次の駅に停まりさえすれば、高校生を逃がすなり、暴行男を警察に突き出すなり、色々できるわけだからね。

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これは僕の持論なんだけど、人はみんな「誰かを助けたい」という願望があると思うんだ。
下の記事は、ある駅で車椅子の方が階段を上ろうとして駅員さんを呼び、駅員さんが「誰が手伝ってくれる方はいませんか~?」と声かけしたとき、瞬時に人が集まってきた、という話だ。

みんな誰かを助けたい。でも、なんか恥ずかしいし一歩の勇気も出ないし、ましてや暴行事件だったら怖いしね。
でも、何かをきっかけに「人を助ける行為」に走ることがあると思うんだよ。

僕の話だが、僕の会社の事務所が入っているビルが昨年夏に火事になった。
僕はこの日 早朝出勤で仕事をこなしていたのだが、午前8時半くらいに事務所内に煙が漂い始めた。
そのビルは4階建て。1階が飲食店、2階~4階が住居で各フロワーに5個室。事務所は僕の勤務先のみで2階にある。
失火は2階の角部屋からだった。
僕はすぐ外に出て119番通報をした。
そして外からそのビルを眺めていたのだが、数分後に通りがかりの40代の男性が「火事なんですか?住居人の方はみんな避難しているのですかね?一緒に住居人の方たちに知らせに行きませんか」と声をかけてきのだ。

失火元からは煙がムンムン出ているが、もしかしたら火事に気づいていない人がいるかもしれない?
僕はその人に誘われて〈そうだよ!〉と気づいた。

で、僕が2階の人に声かけして3階へ。彼が4階の人から声かけして3階へ。3階でふたりが落ち合うことになった。
結局、3階の部屋に1人だけ人がいて、その人を非難させた。

僕はその男性に声をかけられなかったら、住居人の非難のことまでは頭が回っていなかったと思うんだ。今でもその時のことを思い出すよ。
声をかけられて初めて〈そうだよ!〉と気づいたんだよね。

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暴行事件のときの傍観者は、きっと「見て見ぬふりをするのが当たり前」と思いこんでいたのかもしれない。
傍観者が悪いとかじゃなくて、「それが常識」みたいになっている人が多い気がするんだよな。
なんて言うのかな…。解せないね…。なんだか「正義」というものが失われているような…。

だからこそ声かけだ!

誰かがその人に「一緒に行こう」と声をかけることで、その人は〈そうだよ!〉と気づくかもしれない。いや、気づくはずだ!

だから、声かけは本当に大事だ

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高校生は、その後、怪我の具合はどうなのだろうか。
一日でも早く心の傷と体の傷が癒されますように。
心よりお祈りいたします。

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