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僕は「でないといけない」「であるべき」の奴隷だった ①

10代のころ、男とは「強くないといけない」「活発でないといけない」「優しい=弱い」という風潮を感じ、僕もそう思い込んでいた。

社会人になると、仕事とは「モーレツに働くもの」「やりたくないことをやるもの」「思い通りにいかないもの」「我慢するもの」「苦労するもの」「矛盾を感じても不平・不満を言うものではない」…等の風潮を感じ、やはりそう思い込んでいた。

生活のため、一人前になるために一生懸命働いた。
しかし、度重なるオーバーワークとストレスで大きな病気に3回かかり、現在は膠原病(こうげんびょう)という病気で自宅療養中。
メンタルにも多大なダメージを受けている。

明らかに働き過ぎが原因だ。
やりたくないことを、限度を超えて無理にやり続けると、こうなる可能性がある。

   *

なぜnoteで発信するのか?
それは、皆さんには僕のようになって欲しくないからだ。
とにかく無理をして欲しくない。自分が本当にやりたいことで無理をするのならまだしも、「でないといけない」「であるべき」に翻弄されて無理をするのは良くない。

僕のプロフィールページで発信する理由を簡単に記しているが、今回は更に深堀りをしていく。

自分の歴史を元に、いかに「でないといけない」「であるべき」に翻弄されてきたかを語りながら…。

   * * *

<名前:ケル>
1964年生まれ。東京都出身。両親、妹、弟の5人家族で育つ。
裕福な家庭ではなかったが、両親がとても働き者で、僕を含め3人の子供を養うために休む間もなく働いていた。僕はそんな両親の背中を見て育った。
僕ら3兄妹に献身的に接してくれた両親には感謝しかない。もちろん尊敬もしている。
僕は現在も東京在中。妻と2人暮らし。

<生まれ持った性格>
優しい。気が弱い。繊細。完璧主義。HSP気質(自己診断)。


■■■ 僕の歴史 ■■■

〇 幼稚園時代
あるがままの姿で無邪気に遊んでいた。


〇 小学校時代
小学校に入学すると、だんだん周りの反応を気にするようになってきた。
小1か小2のときに体育の授業でドッチボールが始まった。そこから僕の「球技コンプレック」が始まった。
ボールの投げ方がわからない…。ボールの捕り方がわからない…。
それ以来、球技音痴が凄まじいトラウマになった。
「球技は上手くないといけない」…ここから、最初の「でないといけない」が始まった。

高学年になると、ますますボール遊びが盛んになる。球技コンプレックスの僕は肩身の狭い思いをさせられた。
小6のときは、球技コンプレックスが原因で常に学校で緊張していた。
特に体育の授業での緊張が凄かった。例えばソフトボールのときは「失敗したらどうしよう…」「エラーしたらどうしよう…」が常に頭をよぎっていた。もの凄いストレスだった。


〇 中学校時代
中学に入ると、僕はクラスメートから「〇〇は本当いいやつだよな」「怒らないもんな」「優しいよな」等を言われるようになった。
担任の先生からは「〇〇君はもっと自分の意見を言ったほうがいいです」と通知表に書かれたりもした。
この辺りからだんだん「優しいのはよくないのではないか?」と思い始めてきた。

「でないといけない」「であるべき」の呪いにかかってきていた。その呪いは、その後もずっと付きまとう。

「強くないといけない」「活発でないといけない」「優しい=弱い」…。そう思い込むようになっていったが、明らかに僕の性質はそれとはかけ離れていたので、そういう自分になる為に無理に自分を変えた。というか、そうなるように自然と自分の心が動いてしまった感じだ。

「強いふりした」「活発なふりをした」「優しくないふりをした」…。そのように振る舞う様になったのだ。


〇 高校時代
高校に入ると、パンクバンドを結成してライブ活動を盛んに行った。
当時の大人たちの矛盾を指摘して自分の意見を主張したり、不平・不満を言ったりしていたが、高3になると周りの友人も僕もだんだん落ち着いてきて、「大人にならないといけない」「お利口にならないといけない」と思うようになってきた。
やはり「でないといけない」「であるべき」が根底にあったのだ。

大学受験に失敗。しかし「学歴はないといけない」と思い、〇〇大学の通信教育部に入学。
やはり「でないといけない」「であるべき」が根底にあった。


〇 大学時代
大学に入学したのはバブル景気が到来する少し前。世の中はすでにイケイケな時代になっていた。
遊びも仕事も「イケてないといけない」。
性格は「明るくないといけない」「ノリが良くないといけない」。
流行に「乗り遅れてはいけない」。

当時はDCブランドという高級ファッションが流行し、僕もスーツを購入したものだ。
とにかく値段の高いスーツだった。しかし着てみるとカッコよく決まる。
当時の言葉をかりると「トレンディーなこと」をしていたものだ(笑) ところで、トレンディーって死語?(笑)

みんな見栄を張っていた。人から良く思われようとしていた。人にバカにされないようにしていた。
今思うと「他人軸」の雨嵐だ!

僕自身、そういう時代の流れに違和感を感じたこともあったが、「そういうもの」と思っていた。というより、自分にそう思い込ませていた。いや?思い込まされていた?時代に?世間に?(笑)

   * * *

今回はこの辺で。

改めて自分の歴史を振り返ってみると、本当「でないといけない」「であるべき」の餌食になっていたんだな、と思う。
まぁそれはそれで楽しいことも沢山あったし、いい思い出も沢山あったのだが…。


次回は、怒涛の日々だった社会人編を書いていく。



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