自惚れだと知りながら…
悩みや迷いを吐露されている方の記事を読むときは、キュッと胸が詰まる想いで読ませていただきます。
私も40年以上生きているので、似たような苦境に立ったこともありますし、同じような出来事に嗚咽を漏らしたこともあります。
ですが、どんなに同じような・似たような出来事や境遇だったとしても、私とあなたは違う人間なのですから、私の想いを伝えることは、逆にあなたを傷つけてしまうかもしれません…。
そう思うと、いつもコメントに躊躇してしまって、「スキ」に「スキ以上の想い」を乗せて、押させていただいています。
今回は、そんな不甲斐ない私の、届けたい気持ちを、それはそれは遠くから(笑)、あなたに伝えたいと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
ーーーーーーーーーー
差し出された手を掴む資格があるのか?
私が「キャリアコンサルタント」の資格を取得しようとした目的の一つでもあるのですが、私自身も過去に多くのことに悩んだり迷ったりして、苦しんだ時期があります。
性格的に、他人に甘えることができず、何年も何年も、一人で悩みや迷いと向き合い続けました。
結果、人の心の動きについて、自らを実験台に多くの学びを得るに至りました。
そういった意味では、悩みや迷いは、ヒトの成長に大きく寄与するモノではあると思うのですが、現在進行形で深い傷を負っている方には、この言葉は毒でしょう…。
私は、特別な人間ではありませんし、人より秀でたものもありませんし、何より実績がありません。
そんな人間が、他人に寄り添うことが許されるのか…?
これは「偽善」ではなかろうか…?
ただの自己満足ではないと、自らに言い聞かせる意味でも、「キャリアコンサルタント」の資格取得までの学びは、大変有意義な時間でした。
ーーーーーーーーーー
あの日から、空っぽの手のひら…
「偽善」、そう考えてしまうのは、過去の歪んだ記憶からかもしれません。
私は離婚歴があるのですが、そのとき、2歳になる娘がいました。
こういう言い方はよろしくないとは思いますが、他人の赤ちゃんをカワイイと思うことはあまりないのですが(笑)、自分の子供は別でした。
毎日、帰宅してからお風呂に入れたり、おむつ替えをしたり、ミルクや離乳食を作る生活は楽しかったです。
夫婦間はトラブルが絶えませんでしたが、娘の成長を見守るのが私の生き甲斐でした。
…あー、まあ端折りますが(笑)、親として、たった2年で娘と離れざるを得ない状況になってしまい、あの日から、手のひらは空っぽのままです。
その空虚感を埋めるために「誰かの助けになりたい」と思うのであれば、それは偽善以外の何物でもないかもしれませんね。
ーーーーーーーーーー
「偽善」だとしても…
「誰かを助ける許可を得る資格」などありませんし、「偽善」かどうかは、私が決めることではないかもしれません。
ただ、一歩踏み込む勇気を逸してしまった気持ちは、ずっと心に残っています。
多くの文献や過去の偉人は「他人に干渉などできないし、してはいけない」と警鐘を鳴らしています。
個人の問題は、個人で解決するべきだと。
私は他人の問題を解決できるなどとは思っていません。
一人で苦しみ続けた時間があるからこそ、失くしてしまったモノがあるからこそ、あなたに苦しい想いをしてほしくないだけなのです。
…そうは思いつつも、「note」ではコメントを躊躇したりしていますが…。
話を聴く・そばにいる・そっと手に触れる…
それだけで救われる心があるのなら、「偽善」でも構わない、これは私の「エゴ」なのです。
ーーーーーーーーーー
いつか、萌芽するための糧として
本当に自惚れなんだと思います。
自分を救えなかった人間が、他人を救いたいなどと語ってはいけないんだと思います。
何度も自問して、抑えようとしても消えていかないこの感情を、私自身が赦すことはないのですが、いつか、悩みや迷いを抱えていたあなたが赦してくれる日が来るのなら、私はその日まで、懺悔と贖罪を繰り返すのみです。
「自他共栄」、いつか芽吹き、美しい華を咲かせるための一滴の慈雨として、あなたの苦しみに寄り添っていけたらと思います。
ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?