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「note」との距離感は人それぞれ。

正解は無いのだろうけど、不正解はきっとある「note」との向き合い方

では、何が不正解なのか?

それは「自分を偽ること」と「他人を貶めること」だと思います。

それさえ留意していれば、自由なのでは?と、私は考えています。

今回は、そんなフワッとしたことを書いていこうと思います。

最後までお付き合いいただけると幸いです。

ステージ・人・幕から覗く・スポットライト

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「自分を偽ること」の補足

誤解しないで頂きたいのですが、「自分を演じること」は、立派な創作行為だということです。

キャラクターとしての自分を設定して、そのキャラクターとして投稿活動をすることは、一つの選択肢として面白いと思います。

偽ること」とは、「自己顕示欲」によって、本来の自分以上に自らを地位や権力があるかのように振舞う行為や、「自己否定」によって、本来の自分の感情にフタをして虚偽の言動を行うことなどを指します。

少しややこしい話になりますが、この「自分を偽っている状態」を「演じる」ことは創作活動に該当すると思うのですが、そこは何らかの形で、読み手が不快に感じたり訝しく感じないための配慮が求められるところだと思います。

他人を貶めること」同様、マナーとリテラシーは、リアルでもSNSでも大切ではないでしょうか?

人々・男女・手を伸ばす・距離

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「距離感」

個人的には「毎日投稿」することが、必ずしも素晴らしいことだとは思っていません。

毎日投稿」が称賛されるのは、一つの「継続のカタチ」として、他人にも見える形で成果として残るからです。

ですが、「noteへの毎日投稿」のために、日常生活が疎かになっては本末転倒ですよね。

多くの人は、普段から多くのことを継続されています。

会社に出社すること。

子育てをされていること。

パートナーとの愛を育むこと。

もっと言えば、起床してから就寝するまでの間に、人は数えきれないほどの「習慣行為」を行っています。

ですから、「始めたからには毎日投稿しなければ…」といった思い込みを自らに課すことはしなくていいと思っています。

自分らしくあれば、どんなスタイルでもいいのではないでしょうか。

コーヒーカップ・ハート・手に持つ

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他人に流されない勇気

個人的な意見なのですが、たまに当初の投稿スタイルからガラリと変わる方がいらっしゃいます。

日々の投稿をされていく中で、自分なりに考えて研究や研鑽を重ねて、独自のスタイルを作っていくことは、素晴らしいことだと思います。

一方で、その…何と言いますか、人気のある方やマネタイズに成功されている方の模倣に走ってしまう方もいます。

目指したい方向の先にいる誰かの行動模倣は、「モデリング」として不正解ではないのですが、「その人らしさ」が消えていってしまうのを見ると、少し寂しい気持ちになってしまいます。

note」は、「内省・内観」のツールとして効果的だと思うので、「本来の自分からの乖離」が起こってしまったら、始めたころの投稿を読み返すといいかもしれません。

あなたは、投稿活動で疲れてしまっていませんか?

ラップトップ・作業・デスク・普段使い・書斎

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私と「note」の距離感

もうすぐ1年が経過する「noteでの投稿活動ですが、継続できている最大の理由は「時間があったから」です。

一人気ままな生活をしているので、「自分の時間」が確保しやすいからこそ、続けられるのであって、例えば家族がいたり、もっと仕事にのめり込んでいたら、そもそも「note」に訪れることもなかったでしょう。

タイミングがよかっただけです。

ですが、そのタイミングのおかげで、こうして読んで下さっている方との新たな繋がりを持てたコトを、今では大変ありがたく感じています。

いつまで続くのかは分かりませんが、「ここ」にいる間は、自由に自分らしい投稿をしていこうと思います。

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余談ですが、「note」に関する記事も増えてきて、タイトルが過去記事と被っていないかのチェックも面倒になってきました(笑)。

みなさんは、どのように管理されていますか?

私、今からまとめようとすると、多分1日じゃ終わらない…(;´・ω・)。

ま、特に気にしていませんが(笑)。

ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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